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(セ・リーグ、横浜3-5阪神、19回戦、阪神15勝4敗、2日、横浜)虎に救世主現る! 阪神・吉野誠投手(28)が九回を封じてプロ7年目で初セーブを飾った。守護神・藤川球児投手(26)が疲労で使えないピンチに、復活左腕が意地の代役で4連勝。竜とのゲーム差は7のままだが、よみがえった吉野が虎の奇跡の使者となる。



奇跡の逆転Vへ―。“救世主”の出現が不可欠なら、その重責は、辛苦を乗り越えた左腕に託したい。防戦一方となった試合を“藤川抜き”で締めたのは、吉野だ。プロ7年目の初セーブが、虎のピンチを、救った。

「とにかく左打者だけ抑えようと。いい感じで投げられました。初セーブ? 本当によかった」

苦しい試合だった。先の中日戦で酷使した藤川を、休ませたい横浜戦。5点差を2点差まで詰められ、八回はウィリアムス。そして九回。指揮官が切ったカードが、吉野だった。石井、藤田、金城を内野ゴロ3つの真骨頂。勝利の輪の中で、温和な笑顔が弾けた。

「(藤川の)負担を軽くしてあげたいし、みんなでカバーできれば」

00年にプロ初登板を飾った横浜。転落もこの地だった。03年Vセットアッパーの栄光から、04年。開幕前に左手指を痛めると、4月7日に1回8失点と炎上した。自信を失った同年は23試合で防御率16.76。昨年はたった12試合。そして背番号21を“剥奪”された(現47)背水の今季も、大半が二軍暮らし。トレード候補の“常連”は「とにかく投げたい。チャンスが欲しい」と心の叫びを続けた。

「引越ししなきゃ、いけないかなぁ」

ポツリと漏らした言葉は、重かった。年俸も一昨年の4300万円から、今季3000万円と減る一方。西宮市のマンションの家賃さえ頭をよぎる。昨年1月1日に長男が誕生。今年で29歳。一家の主は、追い込まれていた。「二軍だと(帰宅が早く)子供の成長を見られるけど…寂しいね」。父親が野球選手かも知らない愛息。まだ一度も家族を球場に招待したことはない。「(子供が)もう少し大きくなって、球場で自分を見せたい」。

人生をかけて、這い上がった。8月25日に再登録。同30日の中日戦(甲子園)で福留、翌31日は二死満塁で井上を斬り、自信を取り戻すと、巡ったこの舞台。復活を示す渾身の12球だった。

「抑えられる投手を投げさせただけや。左なら吉野が使える。(いい時に)戻っとる」。岡田監督の言葉からも、信頼の2文字が浮かぶ。今季わずか4試合目の左腕で締めて、4連勝。残り27試合、大きな力を得た。

「色々あったけれど、上でまたチャンスをもらってうれしいし、本当に新鮮な気持ち」。崖っ縁の男が、崖っ縁の虎を救う。奇跡へ、これほどドラマはない。

(堀啓介)


【吉野の天国と地獄】
リーグ優勝した03年は、セットアッパーとしてリガン、ウィリアムス、安藤とともに勝利の方程式の一員に。56試合に登板してフル回転。ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズでも活躍。特に第3戦は3回を封じ、星野前監督(現SD)がインタビューで「何より吉野が素晴らしい」と絶賛した。
しかし、岡田監督が就任した翌04年からは期待外れ。開幕直前に左手の指を痛め、4月7日の横浜戦(横浜)では0-9で迎えた八回から登板して1回を何と9安打2四球で8失点(自責7)。これで信用がガタ落ちとなり、以後、二軍暮らしが中心となった。

【2006/9/2 サンスポ.COM】
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