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【12月4日】1999年(平11) 

 気が付いた時には、2人はもう日本にいなかった。

 オリックス・仰木彬監督の強い慰留で、メジャーへの夢を一旦封印し、残留を決めたイチロー外野手が、米ロサンゼルス郊外の名門ゴルフ場で結婚式を挙げた(現地時間は12月3日)。

 お相手は元TBSアナウンサーの福島弓子さん。イチローがパーソナリティーを務めた95年オフのラジオ番組「イチローの気持ちはいつもフルスイング」で共演したのがきっかけで意気投合。その後も球場では選手と報道関係者の間柄として一線を引きながら、プライベートでは順調に愛を育んでいった。

 7歳年上の弓子夫人とイチローの挙式は親族ら16人のみが出席し、1926年(大15)にオープンした「リビエラ・カントリークラブ」で、芝の上にいすを出して行われた。その6週間前に挙式の予約を入れた2人だが、イチローは茶色のスーツで、弓子さんはウェディングドレス姿。閑静な住宅街の中にあるゴルフ場に、日本のマスコミが大挙して押し寄せ、ロス市警が緊急出動する騒ぎにまでなった。

 帰国した5日、神戸市内のホテルで2人は会見。「これが結婚式かというくらい、にぎやかだった」というイチローは、いつもの厳しい表情が別人のように緩みっ放し。「私はホッとして幸せな気持ちでいっぱいです」と笑顔の新婦を見ては、また目じりが下がった。

 番組を通じて知り合った2人は97年春、イチローが知人と食事をした際に弓子夫人を呼ぶことになり再会。同年の8月から交際がスタートした。付き合い始めてから1年半ほどが過ぎた99年1月にイチローが「結婚しよっか」とプロポーズ。弓子さんはTBSを退社し、実家の島根に帰って“花嫁修業”に入った。

 「相性がいいというのが一番。話すリズムとか価値観とか同じ空間にいるのが心地いい。あと、親を大事にしてくれると思いました」とイチロー。「自然な2人の空間が心地いいですね。信頼感がある人だなと思いました」と弓子夫人。集まった約300人の報道陣は24分間、2人ののろけ話を聞かされ続けた。

 01年、イチローは念願のメジャーへの夢をかなえた。大リーグでは試合前にチームがベンチ裏に食事を用意するが、イチローは夫人が作ったおにぎりを食べながらゲームに臨んだ。

 04年、イチローはジョージ・シスラーの持つ年間最多安打記録259本を更新した。84年間、破られなかった記録を超えた背番号51の姿に妻は始まりの日のことを思い浮かべた。

 「メジャーでプレーできるという思いがかなったとき、鏡の前でマリナーズの帽子をかぶってみては子供のように喜んでいた笑顔が今も心に残っています。あのときかぶって見せてくれたマリナーズの帽子を、メジャーの偉大な記録を塗り替えるという瞬間に、大勢のファンの方たちの喝采にこたえて高々とかかげる日が来るなんて、その感激は言い尽くせません」。

 07年のオールスター。史上初のランニングホームラン、日本人初のMVPの瞬間も、スタンドから姉さん女房は温かい眼差しを送っていた。どこまでもわが道を突き進むイチローだが、これからもそばにはいつも夫人と愛犬の“息子”「一弓」(いっきゅう、2人の名前を1文字ずつ取って命名)が寄り添っていることだろう。

【2007/12/4 スポニチ】
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