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【2月2日】2007年(平19) 

 捕手として現役27年、2921試合マスクをかぶり何百人という投手の球を受けてきた楽天・野村克也監督がブルペンでうなった。「スライダーは一級品や。あれならプロのバッターも空振りする。松坂の後継者ができたわ」。

 辛口で知られるノムさんが絶賛したのはゴールデンルーキー、北海道・駒大苫小牧高出身の田中将大投手。まだ18歳と4カ月。高校の卒業証書をもらっていないプロの世界では“坊や”のマー君が、入れ替わるようにメジャーリーグ、ボストン・レッドソックスへと旅立った元西武・松坂大輔投手の後を担える投手として指名された。この日、ブルペンで投げたのは43球。「下(2軍)で投げるレベルじゃない。楽天で一番いい投手」と、早くもエースとして指揮官が認めた。

 前日1日に続いて2日連続でのブルペン入り。直球オンリーだった1回目とは違い、すべての持ち球を披露した。

 得意のスライダーにカーブ、チェンジアップ、そしてフォークボール。コントロールに多少ばらつきはあったものの、野村監督、紀藤真琴投手コーチは捕手の後ろに立ち、笑顔が絶えなかった。真っ直ぐも140キロそこそことスピードは乗っていなかったが、「さすがにエエ球放る。バランスが取れた時は“ドン”と来るな」(野村監督)。

 “実技”をパスした田中に、今度はノムさんが“口頭試問”を課した。投げ終えた田中を呼んだ野村監督は、左腕の有銘(ありめ)兼久投手の投球を捕手の後ろから見させた。

 野村監督「あのピッチングを解説してみろ」

 田中「(先輩に遠慮してやや言いにくそうに)上半身がブレ過ぎています」

 野村監督「なぜブレとるんや」

 田中「下半身がうまく使えていないからです。だから上に力が入ってブレてしまうんだと思います」

 野村監督「お前も速い球を投げる時にそうなることがある。気をつけろ」

 自分の欠点が分かっていることで野村監督は合格点を与えた。「ちゃんと(自分の投球が)解説できることが大切。分かっていたわ」。そう言い残すと上機嫌で野手組の練習へ歩を進めた。

 「“褒めたことのないオレが褒めたんだから大丈夫だ”と言われました。うれしいことなので、いいところは続けていきたいです」と田中。松坂の後継者として指名されたことに光栄、という素振りは見せなかった。「田中でいいです」ときっぱり。松坂2号ではない、オレは田中だというプライドがその言葉ににじみ出ていた。

 名捕手であり名将である野村監督の目は確かだった。07年、田中の成績は28試合に登板し11勝7敗。創立3年目にして楽天初のふたケタ勝利投手となった。中でも5勝(1敗)を挙げたソフトバンク戦での投球は出色で、ホークスVを阻止したのはルーキーの右腕だったともいえる。

 高校出身の新人が10勝以上したのは、99年の松坂(16勝5敗)以来、8年ぶり15人目(2リーグ制以降)の快挙だったが、その松坂を上回ったのが奪三振。松坂は151個の三振をルーキーイヤーに奪ったが、田中は196個。新人としては62年(昭37)に東映(現日本ハム)に入団した、“怪童”尾崎行雄投手と並ぶ4位タイの記録だった。ドラフト制度ができてからは、阪神・江夏豊投手の225個に次いで2位だが、江夏は230回3分の1を投げてのもので、田中は186回3分の1。投球イニングより奪三振が上回ることは松坂、尾崎、江夏もできなかった。

 08年はさらに進化した田中が見られるのだろうか。楽天悲願のAクラス入り、プレーオフ進出は背番号18の肩にかかっている。

【2008/2/2 スポニチ】
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