【2月23日】2003年(平15) 

 オープン戦で新しくチームに担う2人の若手が大活躍した。

 まずは西武戦(安芸)で4番に入った、7年目25歳の阪神・浜中おさむ外野手。初回二死一塁で前年9勝の許銘傑(シュウ・ミンチェ)投手のスライダーを右中間へ運んだ。鮮やかな先制三塁打。三塁へ猛然とスライディングをして立ち上がった姿は迷いから吹っ切れた様子だった。

 「とにかく4番に使ってもらっているわけだから結果を残したかった。僕レベルでは(オープン戦は)調整段階なんてない」と浜中。02年、打率3割1厘、18本塁打と自己ベストをマークした若虎も03年のキャンプでは打撃不振に。中堅コンバートに伴い、守備練習に時間も神経も割かれ、バッティングを考える余裕はなかった。

 バッティングに悩む浜中に手を差し伸べたのは、五輪日本代表・長嶋茂雄監督(当時)だった。オープン戦3日前のことだった。「いいかい、浜中君。毎日寝る前に3分間でいいから、翌日の試合でヒーローになる自分の姿をイメージしなさい。いいかい、毎日だよ毎日」。

 試合前日、浜中は持参したDVDを1時間見入った。球団が編集してくれた02年に自身が放った安打特集だった。「いいイメージを目に焼き付けるため。見続けました」。寝不足で赤く充血した目をこすりながらも、その表情は晴れやかだった。

 9回にも逆らわず、右前打してこの日2安打。「応援団のラッパの音を打席で堪能したかったんで、初めの甘い球は見逃しました」と2本目のヒットは余裕の一打だった。大きく育ってほしいと、浜中に厳しい言葉を浴びせ続けた星野仙一監督は、試合に勝ったことより若き4番候補の成長にこのキャンプ初めて褒め言葉を口にした。「無理して引っ張らなくなったな。ええんじゃないか」。

 その高知から1500キロ離れた沖縄・宜野湾でも5年目23歳、絶えて久しいハマの和製大砲が火を吹いていた。日本ハムとのオープン戦で横浜の4番に座ったのは古木克明三塁手は2回、先頭打者としてファイターズの顔、岩本勉投手から引っ張らず左翼スタンドに入る2試合連続の2号アーチを放った。

 「きょうのホームランは本当に嬉しい。逆風の中、レフトに打てた。完璧です。バットの芯で打てました」。前年の02年、横浜は優勝した巨人と35・5ゲーム差で7年ぶりの最下位に転落した。投手陣の崩壊も目を覆うばかりだったが、かつて“マシンガン打線”でセ・リーグの投手を震え上がらせた攻撃陣はチーム打率2割4分でセ界最悪の数字まで成り下がっていた。その屈辱の中で、光明を見出したのは古木のバッティングだった。9月以降で9本塁打。その飛距離、逆方向へもスタンドインできるパンチ力は、山下大輔新監督となった新生ベイスターズの復活の象徴とされた。

 そんな2人は3月28日、開幕戦で顔を合わせた。横浜スタジアムでの横浜-阪神1回戦、浜中はタイガースの4番で、古木はオープン戦7本塁打の実績を引っさげ、プロ初の開幕スタメン6番に入った。試合は4-2で横浜が勝ち、浜中は3打数無安打1三振。和歌山・南部高時代、夏の県大会で場外ホーマーを放った星林高のエースでこの日先発の横浜・吉見祐治投手のチェンジアップに翻弄され、初回の先制機に三塁ゴロに倒れたのが、試合の流れを決めた。

 以後、復調するも浜中は6月13日の巨人13回戦(甲子園)で右肩を脱臼。これで浜中のシーズンは事実上終わってしまった。55試合出場でわずか9本塁打。前年の半分の数字では、チームが18年ぶりに優勝しても全く喜べなかった。

 一方の古木はもっと悲惨だった。開幕戦は4打席3三振。完全に打撃フォームを崩され、バットにボールが当たる雰囲気すらなかった。出鼻をくじかれた古木は22本塁打を放ったが、打率は2割8厘。三振131個は出場試合数125のそれを超えた。不安視された三塁の守備は20失策でセ・リーグ失策王に。一発の魅力は十二分にあったが、とても不動のレギュラーとして使うことはできなかった。

 この年をピークに2人はレギュラーの座から遠ざかっていった。08年、奇しくもトレードでともにオリックスへ。阪神でも横浜でも不要というよりは、才能が生かしきれず新天地を求めての移籍という色合いが濃い。開花すればバファローズにとっては、最高のトレードだ。

 清原和博、グレッグ・ラロッカ両内野手、タフィー・ローズ外野手らとともに西武からアレックス・カブレラ内野手、さらに浜中、古木を加えたオリックス。巨人にも引けをとらない超重量打線が炸裂し、パ・リーグ各球団の投手陣を粉砕するシーンが増えれば、最下位脱出は難しくないはずだ。

【2008/2/23 スポニチ】
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