【3月31日】2002年(平14) 

【阪神2-1巨人】後先を考えるな。勝負をかけるのは今しかない。東京ドーム、巨人-阪神2回戦、7回表一死二塁。スコアは1-1、勝ち越しのチャンスを迎えて阪神・星野仙一監督はひたすら前へ前へと進んだ。

 マウンドにはベテラン左腕・工藤公康投手。星野監督は左打者の8番・藤本敦士遊撃手の代打に新外国人のデリック・ホワイト外野手を送った。

 右のホワイトだったが、打ち損じてキャッチャーへのファウルフライ。これで二死。打順は好投を続けるテリー・ムーア投手。次は左の赤星憲広中堅手。ムーアに代打を出しても歩かされるかもしれない。それに今のムーアの出来なら、巨人打線は点は取れまい。さあ、どうする?阪神ナインが指揮官の動きに注目した。

 星野は動いた。「ピンチヒッター、八木」。「選手に前進あるのみと言い続けてきたのはオレや。ここでとどまるわけにはいかんやろ」と闘将は惜しげもなく代打の“神様”を使い、有言実行の采配をした。勝負に出た背番号77にナインの闘争心は燃えた。

 八木は予想通り勝負を避けられ敬遠の四球。遊ゴロ2本、三振の赤星が打席へ向かうところで、星野は呼び止めた。「初球から行け。お前は足が速いんだから転がせばなんとかなる」。

 これで赤星は「迷わず振り抜くことだけを考えられるようになった」。初球は外角低めの真っ直ぐ。見逃せばボールだろう。赤星は右手一本でこれを拾った。一、二塁間をゴロで抜ける右前打。二塁走者の矢野輝弘捕手が必死の形相で還ってきた。大盛り上がりのベンチ。腕組みをしながら、やや不機嫌そうに指揮を執っていた星野監督がこの時初めて喜びを爆発させた。

 1点勝ち越しても巨人の攻撃はあと3回ある。星野はここでも前へ前へと進んだ。投手陣を出し惜しみせず、一人必殺のリレーを展開。7回に3つのアウトを取るのに伊藤敦規、弓長起浩、伊達昌司の3投手を投入。8回には3番・高橋由伸右翼手、4番・松井秀喜中堅手を迎え、左キラーの遠山奬志投手を起用。高橋を一ゴロ、松井には中前打を打たれると、リリーフエースのマーク・バルデスをマウンドに送った。もうベンチに残っている投手は金沢健人のみとなった。

 「同点にされたらどうする?そんなこと考えなかった。巨人と接戦になったら総力戦や。先に仕掛けなければやられる」。星野の執念は選手にも乗り移り、阪神はそのまま1点差で逃げ切り。開幕戦で井川慶投手が6安打9奪三振1失点、125球の完投勝利を収めたのに続いて巨人に連勝。開幕でジャイアンツを連破したのは、2リーグ分裂後タイガースが初優勝した62年(昭37)以来、40年ぶり。開幕戦11連敗を重ねていたダメ虎は猛虎に豹変した。

 指揮官の勝負にかける熱い思いで勝ち取った一戦で選手は乗った。続く横浜スタジアムでの横浜3連戦は、広島で連敗してきたベイスターズを一蹴し3タテを食らわせた。これで開幕5連勝。今度は戦前の1リーグ時代の38年(昭13)の7連勝に次ぐ記録となった。

 場所を神宮球場に移したヤクルトとの3連戦でもまず2連勝。ビジター球場での開幕7連勝はプロ野球初の記録となった。球団新記録のかかった4月7日のヤクルト3回戦は7回に2番・今岡誠二塁手の左翼線二塁打で勝ち越すも、遠山がロベルト・ペタジーニ一塁手に逆転満塁弾を浴びて02年初黒星。無傷で本拠地・甲子園への凱旋はならず、勝てる試合を落としたが、星野は選手を責めなかった。「予想を覆して7つも勝ったんやから、選手をほめてやらんと。また出直しや」。

 最終的に阪神は開幕で稼いだ7つの貯金を守れず、66勝70敗でこの年4位に終わった。しかし、闘争心むき出しの試合をするようになり、チームは明らかに4年連続最下位の時と大きく変わった。星野とタイガースナインが見せた開幕2戦目の勝利向かって前進する姿勢は、翌03年に18年ぶりのリーグ制覇へとつながっていった。

【2008/3/31 スポニチ】
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