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【9月22日】2002年(平14) 

 【阪神10-9広島】期待を裏切り続けてきた男が、初めて高々と拳を挙げてダイヤモンドを1周した。「みんなが喜んでいるのを見ると、勝ててよかったと思います」。

 それ以上多くは語らなかった。甲子園でのデーゲーム、阪神-広島27回戦の9回裏、広島の抑え小山田保裕投手から右中間への11号逆転サヨナラ2ランを放った阪神・片岡篤史三塁手。この一撃こそ、98年から続いた屈辱の4年連続最下位からの脱出を決めた、虎党悲願の一発となった。

 4点差を一気に1点差までにした阪神。本塁打が出れば球団タイ記録となる9回4点差でのサヨナラ勝ちという場面で、片岡が打席に入った。その直前、星野仙一監督は思い悩む背番号8の肩に手をやり耳打ちした。「考えるな。風がええからバットを上からぶつけろ」。センタースコアボードの球団旗が本塁からセンター方向にひらひらと揺れていた。

 狙い球は真っ直ぐ。前日もリリーフに失敗していた小山田のストレートは力んだ分、ボールが真ん中にきた。星野のアドバイスどおり、上からひっぱだくようにたたいた打球は、阪神の暗黒の時代に終わりを告げる一打となってスタンドインした。

 この年4位になったタイガースは、以後5年間で最下位は1度もなく、優勝2回成し遂げ、毎年優勝候補に名を連ねるようになった。

 「いつかここでやるねん」。小学生の時、父に連れられやってきた甲子園球場でのプロ野球観戦で片岡少年は、憧れの掛布雅之三塁手の華麗なプレーをナマで見てそう誓った。目標だった阪神の選手として迎えた日本ハムからのFA移籍1年目。片岡は星野監督と共にダメ虎から猛虎復活へと導く使者としてファンからも熱視線を送られた。

 しかし、セ・リーグ投手陣の攻め方に戸惑い、5月には指を骨折するなど、不完全燃焼の毎日が続いた。この9月22日まで、打撃成績は30人中29位の2割3分2厘で得点圏打率にいたっては2割1分2厘と全く振るわなかった。期待が大きかった分だけ結果を残さないとファンの風当たりは厳しかった。「打てなかったらむまるで犯罪者扱いや」と周囲にこぼすこともあった。

 そんな時、大阪・PL学園高時代の同級生でともに全国制覇を勝ち取った横浜・野村弘樹投手が左肩痛で引退を決意した。「電話したら“もう投げられへん”って…。寂しいなぁ」と片岡。自分には不振でも我慢強く使ってくれる監督がいる。しかもまだまだ野球ができる体だ。愛着のある日本ハムから悩みぬいてFA移籍したのに、弱音を吐くとは何事だ。自分を再び奮い立たせ臨んだ試合での一撃。ヒーローインタビューの言葉が短かったのは、去り行く友のことや悩み続けてきた日々の事を思い出すと泣き出しそうになってしまうからでもあった。

 阪神で十分な活躍をしたかといえば、疑問符は付くかもしれないが、片岡はFAから5シーズン目の06年に引退。かつて野村の引退を惜しんだ片岡だが、最後は甲子園での中日戦にPLのチームメイトだった立浪和義内野手と抱擁し18年の選手生活を終えた。通算1425安打、164本塁打で打率2割7分。日本ハム時代に2度、シーズン最多四球打者となったが、通算では800個ちょうどの数字だった。

【2008/9/22 スポニチ】
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