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【2月24日】1999年(平11) 

 「こんなこと言ったら怒られますね」。分かってはいたが、言わずにはいられなかった。

 「1日にして(日本へ)帰りたくなくなったのは事実です」と、子どものようにはじけた笑顔で語ったのは、オリックス・イチロー外野手。業務提携球団のシアトル・マリナーズの“交換留学”で、この日から始まった2週間のキャンプに日本人野手として初参加。アリゾナの晴れわたった青空の下、憧れた濃紺のマリナーズのユニホームを着ての練習を終えて率直な感想を語った。

 「どんな男が来るんだろうと思われたかもしれないけど、みんな歓迎してくれた。ホッとした」というイチロー。実は旧知の仲である、大リーグ史上最年少で350本塁打を記録したケン・グリフィーJr外野手とのキャッチボールに始まり、守備練習では自慢の肩を惜しげもなく披露。フリーバッティングでは前年15勝の左腕エース、ジェミー・モイヤー投手が打撃投手を務めてくれた。

 遠いアジアの島国から来た振り子打法の若者に熱い視線が注がれ、右に左に快音を発して飛ぶ打球に、メジャーの名だたる打者が驚嘆した。「左のモイヤーの球を左打者のイチローが苦もなくヒットにする。彼がマリナーズの1番に座るのを夢見るね。打率で3割3分から4分、盗塁も70~80はできるよ」と、評価したのは、天才遊撃手と言われたAロッドことアレックス・ロドリゲス。バッティングケージに張り付いて最後まで“観察”していた。

 “対戦”したモイヤーは「コンパクトで鋭いスイング。バットコントロールはメジャーでもトップレベルに入るだろう。1番打者として打席に立ってほしくないタイプだね」と22スイングで8本の安打性の当たりを飛ばした背番号51に敬意を表した。

 高評価のイチローにグリフィーJrは真顔で言った。「2週間なんて言わないで、(ワールドシリーズが終わる)10月20日頃までいてくれないか。一緒に優勝を目指そうぜ!」。初日にしてこの扱い。半分冗談とは分かっていても、イチローが「帰りたくなくなった」という気持ちにさせるのに十分なひと言だった。

 イチローの“帰国拒否”の気持ちは、仰木彬監督へすぐに伝わった。「マリナーズは投手が不足しているから、打者と(高校時代と投手だったことで)二刀流を要求されるのと違うか?」と笑い飛ばしてはいたが、グリフィーJrがイチローを勧誘していると聞くと、「ウチが優勝を狙おうとしているのに、困るじゃないか」とちょっと心配になった。

 3月4日、イチローは“大リーグデビュー”を果たした。マリナーズの一員として参加した対パイレーツとのオープン戦。「今までにない感覚。シビれた」という第1打席で三ゴロ失策で出塁すると、2球目に「サインは出ていなかったけど、いけると思った」と果敢に走り、二盗に成功。第2打席には初安打を放った。守備でも3回には三塁への送球であわや走者を刺そうかというダイレクト返球を見せた。

 「この国のトップでもやっていける。本人にアメリカでプレーする意志が固まり、環境が整ったのならすぐに獲得に動かなければならない選手」とマリナーズ・ピネラ監督は絶賛した。

 「メジャーでやるなら?マリナーズでやりたいですね」と“相思相愛”となったイチローが海を渡ったのは、2年後の01年。9年目の09年は日本球界最多安打記録を持つ張本勲外野手の3085本を抜き去ろうとしている。2週間の短期留学で始まったイチローの物語はまだまだ続く。


【2009/2/24 スポニチ】
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