【3月21日】2006年(平18) 


 【日本10-6キューバ】最後はこれまで自分を支えてくれたボールで勝負した。守護神大塚晶紀投手(レンジャーズ)が選んだウイニングショットは、自慢のスライダー。大会2本塁打のキューバ、グリエル二塁手のバットが空を切った瞬間、守護神は両腕を「ヨッシャーッ」の雄叫びとともにサンディエゴの夜空に力強く掲げた。

 2006年3月20日、日本時間では21日、王貞治監督(ソフトバンク監督)率いる日本代表が野球の国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」第1回大会決勝でアマ最強軍団キューバに打ち勝ち、初代世界一に輝いた。ロッカールームでシャンパンファイトで集中砲火を浴びた、イチロー(マリナーズ)は言った。「みんなで喜べることなんて、もう忘れていたのに…。思い出しました。いいもんですね。僕の野球人生で最も大きくなった日。野球って素晴らしい」。王監督、キャプテンの宮本慎也内野手(ヤクルト)からあまり出番のなかった控え選手まで、びしょ濡れになりながら、手なした栄誉に酔いしれた。

 本当によくここまでたどり着いたというのが関係者の実感だったに違いない。アジアラウンドで韓国に敗れ、重苦しい雰囲気のまま渡米。初戦の米国戦ははっきり言って審判に負けた。メキシコには6-1で快勝したものの、再び対戦した韓国には1-2で返り討ちにあった。1勝2敗で準決勝にいける見込みはほとんどなく王監督は「99・9%あきらめていた」。それが誤審で負けた日本が、その張本人ボブ・デービッドソン審判の米国を勝たせるがための2度目の誤審が、メキシコナインの闘争心に火を付け、準決勝進出に望みのないチームが米国に勝ち、失点率0・01差で米国を上回った日本が4強へ。三たび韓国とぶつかることになった。

 0-0の均衡を破った7回の代打・福留孝介外野手(中日)の2点本塁打を突破口に得点を重ね、6-0で快勝。ここまで6勝0敗だった韓国はたった1敗しただけで、ようやく4勝3敗の日本に決勝進出をはばまれたのであった。

 本当によくここまでたどり着いたという実感は、何も試合だけに限ったことではない。チームが招集され、世界一の栄冠をつかむまでちょうど1カ月。メジャーリーガー、各球団の顔、生意気盛りの若手スター…。個性派ぞろいの選手が最初から世界一に向かって常に団結していたかと言えば、否定せざるを得ない。チームの柱とされたイチロー(マリナーズ)の言動に引っ張られ、影響を受けた選手もいた反面、“何様のつもり?”と露骨に嫌な顔をする選手や一度もまともに口をきかなかった選手もいた。WBCを国内のオープン戦代わりに位置づけている選手もはっきり言って存在した。

 それが変わり始めたのは米国での屈辱の2敗の末に“拾った”準決勝進出。もう4強の望みが全くないメキシコの戦いぶりに、国の名誉を背負って戦うチームの意地とはこういうことなんだ、とナインが感じてから。イチローとの距離を感じていた一部選手も、勝利に対する鬼気迫る執念には見習うべきものがあると認めるようになった。王監督は明らかに最初のころとは違うチームに手応えを感じていた。「準決勝の韓国戦はチームのムードが違った。初めて個々の力量でやっていたものから、チーム一丸の野球に変わった」。

 そして世界一。しかし、夢からは早く覚めなければならなかった。シーズン開幕はもう目の前に迫っていた。世界一の翌日、チームは解散。メジャーのイチローと大塚を残し、王ジャパンは成田へと急いだ。別れの直前、感傷的な雰囲気とは程遠い位置にあるはずのイチローがつぶやいた。「少しでも長くこのメンバーといたいという気持ちになった。成田まで一緒に行って、それから(マリナーズのキャンプ地)アリゾナに行こうとも思った。本当にいい仲間にめぐり合えた」。そして少し間を置いて「ヤバイっスね…」と照れ笑い。そうでもしなければ、不覚にも目から熱いものが流れ出てしまう気がしたからだった。

 09年の第2回WBC準決勝に進んだ侍ジャパンも監督の人選に始まり、韓国に2度負けるなど、いろいろあった。しかし、最後の最後に笑って大会が終わることができれば、すべて吹き飛んでしまうもの。頂点まであと2つ。イチローをしてまた「ヤバイっスね…」と言うことができるチームになることを祈るばかりだ。


【2009/3/21 スポニチ】
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