2004年10月、東京都内の病院。1990年代後半の音楽シーンを代表し、絶頂期の中2000年に解散した人気グループSPEEDのメンバー・今井絵理子さん(25)は3492グラムの礼夢(らいむ)君(4つ)を出産し、幸福感に満ちあふれていた。
 妊娠中は胎教として自身の曲を聞かせた。生まれたら「ママの歌を聞かせたい。ギター、ピアノ、いろんな楽器に触れさせたい」と夢は膨らんだ。言葉に表せない喜び。「初めて誰かを守りたい」と思った。
 3日後。病院で新生児聴覚テストを何の迷いもなく受けさせた。息子はなかなか戻らない。不安がよぎり始めた時、医師から「耳が聞こえていない」と告げられた。先天性高度感音性難聴。音がほとんど聞こえない重度の障害だった。
 「神様は残酷だ」。そんな憎しみさえわいた。涙がこんなにも出るのかと思うほど泣いた。だが、泣くうちに「子どもだってお母さんの笑顔を見たいはずだ」と自身に言い聞かせた。「あすから泣かないから今日だけは泣かせてね。どんな時も笑っていようね」。息子を何度も抱きしめた。
 出産時の「守りたい」との意志が一層強くなった。「前だけを見て、今いる息子を見詰め、すべてのことを受け止めよう」。そう誓った。
 礼夢君の障害が分かって6カ月後。ギターを弾き「おうちへ帰ろう」という曲を歌った時のことだ。おもちゃで遊んでいた息子は手を止め、長い間じっとギターを見つめた後、はじける笑顔を見せた。
 「ママ、歌っていいんだね」。おもちゃをマイク代わりに遊ぶ姿を見て、今井さんは歌う意欲がわいた。「音楽は耳で聞くのではなく、心で聞くものではないか。障害のある子どもたちに歌、音楽の素晴らしさを心で感じてほしい」。再びマイクを持つことを決心した。それは息子の笑顔に「すべてが救われた」瞬間だった。
 そのころ、唇の動きを読む口話法の学校で、多くの母親たちと出会った。母親たちは悩みを話しながら「芸能人の子は何の障害もなく、健康な子が生まれてくるだろうと思っていたが、同じ立場で話せてうれしい」と笑顔で語り掛けてきた。
 触れ合う中で「障害は一つの個性だ。それをみんなで認め合い、一緒に生きていく社会になってほしい」と思うように。そして息子のすべてを受け入れることを決心した。
 07年9月に夫と離婚したが、仕事と両立させながら息子を育て、昨年4月から手話を覚えた。
 障害のある子の母親たちとの出会いが後押しとなり「伝えられる立場にいるわたしの使命」との思いから8月に「24時間テレビ 愛は地球を救う」にSPEEDのメンバーと出演し、息子の障害をテレビで告白した。メンバーから激励を受け、絆(きずな)を確かめ合った。
 それを機にSPEEDは完全復活。大みそかのNHK紅白歌合戦にも出演し、今年はコンサートツアーで全国を駆け回る。(新垣毅)


【2009/1/1 琉球新報】
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