清水満の「SPORTS BAR」

 笑顔を絶やさない。沿道の熱い声援を受けて手を振り続けていた。ややふっくらとした体、柔和な顔…。8日、名古屋国際女子マラソンをテレビで見た。高橋尚子(36)の“ラストラン”はすがすがしかった。

 「…この子、近い将来ビックリするような選手になるよ。走るために生まれてきたような感じだよ…」。1996年アトランタ五輪直後、千葉・佐倉に当時リクルートの小出義雄監督を訪ねた。“紹介”されたのが、まだ入社1年半の高橋尚子だった。目がクリクリとした高橋は「必ず新聞に書いてもらえるよう頑張ります」とピョコンと頭を下げた。

 その夜、酒席があった。高橋は「これ、体にいいですよ」。マグロのカマの“目玉”部分を取り分けてくれたが、遠慮すると「私、頂きます」。無邪気に笑った。臆せぬ性格が気持ちよかった。

 彼女が“小出予言”を現実にするのに時間はかからなかった。98年、2度目のマラソン(名古屋)では当時日本最高記録で優勝する。00年シドニー五輪で金メダルに輝いた記録、2時間23分14秒はいまだ“五輪最高”として残る。翌01年9月ベルリンマラソンでは人類の女性史上初めて2時間20分の壁を破った。無限とも思える可能性を秘めていたが、いかに超人アスリートとはいえ、いつの日にか終焉はくる。

 昨年10月28日、突然引退を発表した。「精神的にも肉体的にも以前のような走りができなくなった」と話した。涙をいっぱいためた引退会見には“無念さ”が残っていたように思えたが…。決断した“恩返しラン”を見る限り、逆に解放された喜びが見えた気がした。

 「50歳になっても60歳になってもジョガー高橋として走っていたい」。引退のとき話した言葉の序曲がいま、始まったのだろう。今後は市民ランナーとして“恩返し”するという。15日には岐阜・揖斐川(いびがわ)でクリニックを開催。5月24日にはケニア・ナイロビでマラソン大会を開催する。使わなくなったシューズを現地の子供にプレゼントする予定。陸上を通じた社会貢献活動を目指している。

 小出門下生の先輩、有森裕子さん(42)は地雷で被害を受けたカンボジアの子供たちに「義手や義足をつけて走ることで、夢を持つきっかけになれば」と、現地でマラソン大会を開催、NPO法人を立ち上げた。スポーツを通じて国際交流を推進している。

 スポーツ・アスリートのこんな思考は素敵である。

ZAKZAK 2009/03/09
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