【8月1日】1993年(平5) 

 【オリックス2-2広島】真夏の太陽が照りつけるグリーンスタジアム神戸の第2球場。観衆は数えるほど。まばらな拍手の中、その記録は生まれた。

 高校球児のように真っ黒に日焼けしたオリックスの背番号51、プロ2年目、鈴木一朗右翼手、現メジャーリーガー・イチロー外野手が、初回、先頭バッターで広島・鈴木健投手から鮮やかなクリーンヒット。82年に中日・川又米利外野手が打ち立てた、26試合連続安打を更新するウエスタン・リーグ記録の27試合連続安打をマークした瞬間だった。

 1軍は西武との対戦で遠征中。巨人や阪神と違って2軍の番記者もいないオリックスで、新記録だからといってコメントを取る記者は皆無。試合終了後、記録だけが共同通信社を通じてマスコミ各社に配信された。

 1年目で打率3割6分6厘を記録し、高卒新人としては35年ぶりにウエスタンで首位打者となり、ジュニアオールスターではMVPを獲得したイチロー。2年目は土井正三監督期待の選手として、開幕1軍入り。レギュラーも時間の問題とみられていたが、1軍の真剣勝負の球は2軍のそれとは段違いだった。

 4月25日の時点で打率8分3厘。その後のイチローでは信じられない低打率でファーム落ち。ナイター照明の下ではなく、太陽の下で白球を追いかける日々に戻ってしまった。

 ただ、2軍では違う世界の人間が一人で野球をやっているような感じだった。降格直後の広島戦(由宇)でヒットを放つと、以後出場した試合で1試合も欠かさず安打を記録。その27試合目がこの日の新記録だった。

 どこまで記録が伸びるのか。オリックスの前身、阪急の長池徳士外野手が71年に記録したパ・リーグ記録の32試合連続か、はたまた日本記録の広島・高橋慶彦遊撃手の33試合連続か、関係者の間でにわかに話題となった。

 その矢先の8月8日、阪神戦(湖東)でイチローは3打数無安打に終わった。記録は30試合連続安打でストップ。後に少なからず縁があることになる張本勲外野手が巨人時代の76年に1軍で記録した数字と奇しくも同じだった。

 19歳の鈴木一朗は記録が途切れたことに「なんとなく切れてしまうような気がしてたら、やっぱり…。甘い球はあったのにそれが打てなかった。別に連続安打は意識していなけどね…」。イチローを止めた男は、三苫(旧姓・伴)義太郎投手。イチローより1年先輩、福岡・筑陽学園高から91年ドラフト6位で入団した3年目の右腕だった。「記録男をなんとかとめてやろうと思った」とこちらはかなり意識していた様子。この試合5安打2失点に抑えて完投勝利を挙げた。

 翌94年のイチローのブレークは周知のとおり。抑えた三苫は結局1軍登板はなく、97年に引退した。その後、数々の記録を残しているイチローだが連続試合安打は09年5月から6月にかけて記録した27試合止まり。そのことを聞けば恐らく「意識していないけどね」という答えが2年目の夏と同じように返ってくることだろう。


【2009/8/1 スポニチ】
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