【8月31日】1978年(昭53) 

 【阪急5-0ロッテ】自らゴロをさばいて一塁に投げようとした時、とても遠く感じた。右腕に力が入らず、投げたボールは山なりだった。それでもなんとかアウトにすると、両腕を高々と上げて歓喜の表情を浮かべた。次々と集まるナインによって、気がつけば胴上げまでされていた。

 午後8時12分、県営宮城球場で阪急・今井雄太郎投手がロッテ後期8回戦で史上14人目の完全試合を達成した。三振3、内野ゴロ18、内野飛球4、外野飛球2、投球数はちょうど100球。阪急球団史上初の快挙だった。

 報道陣がパーフェクト男の肉声を聞こうと待ち構えていると、汗と小雨でびっしょりの今井は開口一番言った。「たばこを1本吸わせてくれ」。緊張し続けた2時間12分。本来なら大好きなビールでもグイッといきたいところだが、それは後のお楽しみ。マイルドセブンをうまそうに吸いながら喜びを口にした。

 「パーフェクトは7回くらいから意識した。最後の打者を投ゴロに打ち取った時は、大声を上げたいぐらい嬉しかったけど、一塁がとても遠く感じてドキドキした。何が良かったか?うーん、分かりません。シュートかな…」。雪国新潟育ち。あまり弁がたつほうではない。とつとつと話すと、あとはニコニコするばかりだった。

 そんな今井を見ながら上田利治監督が言った。「もともと力のある投手だったが、気迫というか、気持ちが弱い投手だった。それが変化球でストライクが取れるようになってから、マウンドでオドオドしなくなって見違えるような投手になった。もう8勝?2ケタ行くやろ」。

 上田監督が指摘した通り、まさに突然変異だった。電車の連結手だった新潟鉄道管理局から70年ドラフト2位で阪急入り。毎年期待されながら7年目まで通算6勝8敗。1軍と2軍を行ったり来たりする“エレベーター”選手だった。「もう辞めようか」。オフになると妻とそんな話ばかり。大洋へのトレード話も出たのは完全試合達成の9カ月前だった。

 29歳となった78年も前期は1勝止まり。いい投球していても、走者を出すと四球を連発してその後に痛打されるというパターンの繰り返しで、1軍ベンチにはいたが、役目は敗戦処理ばかりになっていた。

 5月4日、大阪球場での南海6回戦。ローテーションの谷間で今井に先発のお鉢が回ってきた。試合前、梶本隆夫投手コーチに呼ばれた今井は紙コップを差し出された。「これ飲んで行け」。中身はビールだった。

 普段は存在感の薄い投手だったが、酒にまつわる伝説は数限りない今井。アルコールが入る快活になり、振る舞いも変わった。上田監督の前の西本幸雄監督時代は門限破りの常習犯。おまけに監督の部屋を自室と間違え、そこで眠ってしまうという信じられない逸話の持ち主でもあった。

 登板前のビールが効いたかどうかは定かでないが、この試合で7回3分の1を1点に抑え、シーズン初勝利をマーク。変化球でカウントが稼げるようになり、ストレートが生きるようになった。後期はローテーション入り。シーズン中に大化けした。

 自信というのは恐ろしい。9月27日、川崎球場でのロッテ後期12回戦。この試合に勝てば阪急の前後期完全優勝という試合に先発したのは今井。パーフェクトに抑えた相手にグイグイ攻めの投球をみせ、8安打1失点完投勝利。完全試合に続いて、今度は正真正銘の胴上げ投手になった。

 「夢のようです。完全試合よりうれしい」。リストラ寸前の男が最高の輝きを放った瞬間だった。


【2009/8/31 スポニチ】
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