【10月26日】1995年(平7) 

【ヤクルト3-1オリックス】これがもっと早くに出ていれば…。ベースを一周する背番号51を見つめながら、オリックスファンは喜びの後にため息をついたかもしれない。

 神宮球場での日本シリーズ第5戦。日本一に王手をかけたヤクルトに対し、オリックスの3番イチロー中堅手は初回にシリーズ1号となる先制本塁打を放った。カウント2-2からの5球目、ヤクルト先発のブロス投手のインハイのストレートを右翼席へ運んだ。



 3連敗後に1勝したオリックスにとって先制点は逆転Vへと一縷の望みを託す夢の一撃だったが、逆に考えれば2年連続首位打者、初の打点王のイチローが胸のすくようなこんな当たりを初戦から飛ばしていれば、1勝3敗という星勘定にはならなかったシリーズだった。

 シリーズ前、敵将野村克也監督は短期決戦のポイントを「イチローを封じる。この一点だけ」と公言してはばからなかった。具体的には「内角高めの速球」にイチローは弱いとマスコミを通じてふれまくった。この時イチロー、22歳。前年にプロ野球新記録の年間210安打を記録し、2年目のジンクスも関係なくさらに進化したバットマンは、野村監督の挑発に乗った。“それなら内角高めの速球を叩いてやる”と。

 そのためにイチローは打撃フォームをいじった。当時、イチローの代名詞だった「振り子打法」の右足の振り幅を最小限にとどめて、対応しようとした。しかし、これがイチローのバッティングで一番大切だったタイミングの取り方を狂わせてしまった。

 第1戦、ヤクルトの先発はブロス。身長2メートル5、真上から投げ下ろす内角高めのストレートはスワローズ投手陣の中で一番力があった。ヤクルトバッテリーは徹底した内角あるいは高めでイチローと勝負した。

 1打席目は内角球で中飛、2打席目は7球中5球を高めに集められて空振り三振。ムキになってバットを振るイチローの姿はシーズン中まったく見られなかった光景だった。4打席目に強引にインハイを強振して中前打。しかし、飛んだコースが良かっただけのポテンヒット。イチローが得点に絡まなかったオリックスは2点を奪うのがやっと。地元神戸開催で幸先よく先勝、どころか第2戦もイチローが無安打に封じられ連敗。3戦目からもとの打法に切り替えたが、一度壊れた歯車は戻らなかった。

 イチローの先制弾もむなしく、第5戦も大詰め9回表。逆転されたオリックスは最後の打者二ールが二ゴロに倒れ、終了。阪神大震災の大被害を乗り越え「がんばろうKOBE」合言葉に勝ち上がってきたオリックスも力尽きた。

 ヤクルトの勝利の瞬間と同時にベンチ横のバットケースからバットを抜き取ると、素早くベンチ裏に消えたイチロー。初のシリーズは19打数5安打2打点で打率2割6分3厘。「僕に力がなかった。それだけのことです」と完敗だった。

 翌96年もオリックスはパ・リーグを制して今度は巨人と対戦イチローは初戦で延長10回に決勝本塁打を放った。ここで調子をつかみ、攻守に活躍したイチローは優秀選手に選ばれた。。同じ失敗を繰り返さない。それがイチローのスタイルである。


【2009/10/26 スポニチ】
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