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【10月12日】2000年(平12)


 「年齢、肉体的なことを考えると、できるだけ早く行きたかった。その可能性が出てきたことを非常に喜んでいます」。言葉を慎重に選びながら、あふれんばかりの気持ちをオリックス・イチロー外野手は静かに口にした。

 オーストラリアへのリーグ優勝旅行の際に立ち寄った米国でロサンゼルス・ドジャースのオマリー会長に「この腕が倍くらい太くなったらメジャーに挑戦したい」と夢を語ってから5年。オリックスはイチローの大リーグへのポスティングシステム(入札方式)による移籍交渉を容認することを発表した。

 イチローがFA権を取得する1年前に球団はメジャー挑戦を認めた。岡添裕球団社長は「イチロー君が抜けたら観客動員で大きな影響が出る。大丈夫じゃない。球団ができた時にイチロー君はいなかったわけだから、まあかぐや姫のような存在だったと思って、頑張っていくしかない」と、急に消えて目の前からいなくなるスーパースターに対する未練を口にした。

 が、球団も客が呼べる日本一のスターをただで手放すほどお人好しではなかった。7年連続首位打者を獲り続け、もはや国内では闘争心をかきたてる投手が西武の松坂大輔投手くらいになっていたことで、イチローが物足りなさを感じフラストレーションをためているのを知っていた。イチローは間違いなくFAを取得すれば、海を渡る。そうなればタダで移籍されてしまうことになる。それならFA権を得る前にメジャー行きを許すから、その代わり入札によって交渉球団を決め、決まった球団から“交渉料”を頂戴し、事実上の移籍金として受け取ることをオリックスは選んだ。オリックスも慈善事業を展開しているわけではない。看板選手を放出するのだから、それ相応の見返りを求めるのは企業側の論理として妥当だった。

 オリックスはすでに夏にはイチローのメジャー行きを認め、球団幹部は渡米し米コミッショナー事務局に「来年はイチローがこちらへ行くことになるのでよろしく」とあいさつまで済ませていた。イチロー、仰木彬監督、球団首脳が合意の上で早い段階から“残留宣言”をしていた。「周囲の雑音や憶測を排除するため」と、マスコミに騒がれることを嫌い秘密裏にことを進めていた。

 会見翌日。西武とのシーズン最終戦でイチローは地元神戸のファンに別れを告げるため、8月27日のロッテ戦(GS神戸)で右わき腹を痛め登録抹消されて以来47日ぶりに1軍へ。痛みが完治していないことから、9回の守備限定ということで右翼のポジションに入った。

 大きな拍手、温かい声援、「イックン大リーグに行っても頑張れ」「神戸を忘れないで」の横断幕…。耳にも入っていたし、目にも留まっていたが、敢えて右翼席を振り向かなかった。「今ある現実をしっかり焼き付けた。昔を思い出すと、下を向いちゃいそうだから」。イチローらしい表現で“ラストゲーム”の心境を口にしたが、顔を上げた時、両目は真っ赤に充血していた。一塁手の失策で右翼に転がった打球を処理し、二塁へ返球したのがオリックスでの最後のプレーだった。

 試合終了後、イチローコールに背中を押され再度グラウンドへ。硬式球を9個ほどスタンドに投げ、一礼した。「いいプレーをした時は喜んでくれて、恥ずかしいプレーをすれば、しかってくれる。この球場は本物の野球ファンが多かった。その中でプレーできたことを誇りに思います」。その言葉を残して、イチローが日本球界から世界に羽ばたいてもう10年が過ぎた。


【2009/10/12 スポニチ】
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