【10月22日】1988年(昭63) 


 【西武5-1中日】狙っていたとはいえ、こんなにもボールは飛んでいくのかというくらい、球はあっという間に球場の外へ飛び出していた。

 2回無死無走者、カウント1-3。中日・小野和幸投手が投げた真ん中に入ったスライダーを完璧にとらえた西武の4番清原和博内野手の打球は、打った瞬間それと分かる左翼への場外本塁打。感触十分のプロ3年生はバットを手放すと同時に右腕を高々と上げながら、余韻に浸るように白球の軌跡を追い続けた。

 「かなり飛ぶんじゃないかと思って。場外に消えていくのも見ました」。他人事のように自らの会心の一発を振り返った21歳の若き大砲。ナゴヤ球場での日本シリーズ第1戦は、日本シリーズ最長不倒といえる特大アーチでまず西武が主導権を握った。

 場外弾は果たしてどこまでボールは飛んだのか。ナゴヤ球場左翼席後方の球場敷地内には幅6メートルの通路や自転車置き場などがあり、フェンスを隔てて東海道新幹線の高架があった。清原の打球はこの高架に直撃した。目撃者でこのホームランボールを拾ったのは、岐阜県美濃加茂市の男性(当時51)。

 「チケットを持っていなかったので少しでもシリーズの雰囲気を味わおうと、ドラゴンズグッズを買いに来た。その帰りに歩いていたら、ボールが空から飛んできた。新幹線の高架に当たって跳ね返り、私のところへコロコロ転がってきた」。

 推定飛距離150メートル超。かつて“怪童”と呼ばれたスラッガー、西鉄・中西三塁手がが平和台球場で160メートル弾を放ったといわれたが、それに負けず劣らずの豪快な先制パンチ。西武から移籍1年目、中日で大変身を遂げ18勝の最多勝を受賞した小野だったが、若獅子の一撃で腕が振れなくなり、6回までに4失点。6年ぶりにシリーズに登場した中日はこれで心理的にも後手に回った。

 試合前、清原はメチャクチャ緊張していた。この日はいつもの一塁ではなく、三塁に入った。87年に2試合守ったのみで、ほとんど初体験。しかも日本シリーズという大舞台の第1戦でスタメンとなれば落ち着いていられるはずがなかった。

 「どうしよう…メチャメチャ緊張しとるわ」と清原は顔をこわばらせながら守備位置についた。背番号3の三塁手に初回、早くもゲーリー・レーシッチの打球が三塁を襲った。が、打球はシートノックのような正面で、難なくさばき一塁でアウト。これでホッとした清原。その直後のシリーズ第1打席で心置きなくバットが振れた。

 シリーズ初のルーキーイヤーから3年連続本塁打をかました清原に乗せられた西武は、石毛宏典遊撃手が新記録となる日本シリーズ17試合連続安打を放つなど中日をのんで快勝。その勢いのまま4勝1敗で3年連続日本一となった。


【2009/10/22 スポニチ】
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