【11月3日】2003年(平15) 


 ダイエーが福岡で日本一のパレードを盛大に行った翌日、チームに激震が走った。チームリーダーの小久保裕紀内野手が巨人へトレードされることが中内正オーナー同席で発表された。

 驚いたのはホークスの4番打者が交換の選手も、金銭もなく無償で移籍するということだった。前代未聞の無償トレードは中内オーナーが、巨人・渡辺恒雄オーナーに申し入れたものだった。

 しかし、なぜ突然チームの顔が放出されることになったのか?「昨年くらいから本人がどうしてもステップアップしたいという希望を持っていた。小久保君に有利なように無償で巨人に行くことになった」。到底納得のいかない、中内オーナの靴の上からかゆいところかくような説明に、事態が「普通じゃない」(ダイエー・城島健司捕手)と誰もが感じていた。

 小久保の無償移籍の最大の理由は球団との根深い確執と球団経営を圧迫する高額年俸にあった。ダイエーの骨格を作った故根本陸夫氏が亡くなった後、球団のトップに立ったオーナー代行兼球団社長は全くの野球音痴。ダイエーグループ内でホテル事業を成功させた手腕を買われ球団経営にかかわることになったが、試合直前に外部の人間を選手専用サロンに招き入れるなど勝手な振る舞いが目立った。野球に対して真摯に取り組む小久保とは水と油。契約更改の席上でも意見が合わず、対立の構図は深刻だった。

 両者の一触即発の関係が続く中で、03年3月のオープン戦でトレードの伏線となる出来事が起きた。小久保がホームにスライディングした際に右ひざじん帯を損傷。長期戦線離脱した小久保は信頼するスポーツドクターのもとで治療に専念するため、渡米したが、その間の治療費や渡航費を一切オーナー代行は認めなかった。

 約2000万円の自腹を切った小久保は、それでもダイエー2度目の日本一に貢献できなかった悔しさから「来季こそは」と期するものがあった。そんな矢先、オーナー代行らの信じられないひと言が耳に入った。「うるさい小久保がいなかったから優勝できた」。

 小久保の気持ちはこれで固まった。青山学院大の先輩である中内オーナーに本心を打ち明け、退団の決意を伝えた。翻意をうながすオーナーの言葉も聞き入れることはできなかった。

 小久保の年俸は2億1000万円(当時、推定)。それだけの金銭を現状維持のままポンと支払える球団として巨人の名前が真っ先にあがった。加えて、球団経営の危機に直面していたダイエーに対し、外資導入を阻み、求心力が弱くなった中内オーナーの留任を支持したのは渡辺オーナーだった。多くの“借り”を返す意味合いも、小久保の巨人移籍にはあったとみるのが妥当だった。

 高額年俸のうるさ型の選手を追放するような形で他球団に譲ることに、ダイエーナインは当然反発した。「このチームは連覇をする気がないのか!ふざけるな!」と小久保に代わって、1年間4番を張ってきた松中信彦内野手は怒り、小久保を慕ってきた斉藤和巳投手や柴原洋外野手は目を真っ赤にして怒りをあらわにした。

 巨人で3年間過ごした後、王貞治監督の「戻って来い」のひと言で06年オフにFAで古巣に復帰。チーム名はソフトバンクに変わっていたが、やはりホークスのユニフォームが似合う男だった。

 しかし、一度狂った歯車はなかなか元に戻らない。小久保復帰後、ダイエーはリーグ制覇に届かず、2度のクライマックスシリーズ出場も負け続き。2010年、その流れが変わるのか。小久保はプロ17年目のシーズンを迎える。


【2009/11/3 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()