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【11月18日】1994年(平6) 


 逆指名制度2年目のドラフト会議。ほぼ無風状態の1位指名で2組あった重複指名より会場をあっと言わせた指名があった。

 王貞治新監督を迎えた福岡ダイエーは“20年に1人の逸材”といわれた、大分・別府大付高(現明豊高)の城島健司捕手を1位で指名した。すでに駒沢大のスポーツ推薦枠で進学が決まっていたにもかかわらず、強行指名した前監督の根本陸夫球団専務らダイエーフロント陣。「僕を1位に指名していただいたことは名誉なこと。しかし、もう進学と決めています。ダイエーの方が来ても会わない」。喜びを口にするどころか、城島は戸惑いの表情を浮べたまま会見に臨んだ。

 遠投120メートルの超が付く強肩、石川・星稜高でゴジラと呼ばれた巨人・松井秀喜外野手を10本も上回る高校時代の通算本塁打数…。どれをとっても将来ホークスを背負って立つだろう選手はどのスカウトも認めるところだった。それだけに、旧南海ホークスからの改革途上にあるダイエーにとって、将来のクリンアップ、指令塔候補の城島は無理をしてでも手に入れたい選手だった。

 王監督はテレビカメラを通じて、プロ入り拒否が伝えられている城島に語りかけた。「この世界は力の世界。力のある人は思い切り飛び込んでほしい。城島君もプロでひと花咲かせたいと思っているのなら早いほうがいい。本塁打の快感を1本でも多く味わえるように、一緒に力を合わせて頑張ろう」。王監督は巨人監督時代の5年間でも一度としてなかった、ドラ1選手への訪問も辞さないと断言。22日に学校へ訪問すると述べた。

 城島を強行指名した背景には、城島の本心はプロ志望だったことにかけたものだった。夏まで城島の口からは「99%プロへ行く」という言葉が聴かれた。それが周囲の進学の勧めと、意中の球団としていた巨人、西武、ダイエーの3球団に入れる可能性が逆指名のできない高校生の場合、低くなることで一転して大学に傾いた。どうしても駒大で野球を、というわけではなかった。

 ダイエーの動きを察したコミッショナー事務局はドラフト前、アマ球界との摩擦を避けるために「指名しても入団を見合わせてもらうかもしれない」とダイエーに警告。駒大側から強い抗議があれば、事務局が介入する方針を示した。

 22日、王監督が別府大付高を訪問。退部届を出していない城島は、会うことが出来なかったが、世界の王が足を運んでくれたことに18歳の野球小僧の胸は高鳴った。「王さんが球界のためにプロ入りしてほしい、と言われたことにジーンときた。あれだけの人に言われると…」。拒否の気持ちはもうなかった。翌23日、別府大付高の糸永俊一郎監督が駒大・太田誠監督を訪問し、直接詫びたことで城島は一気にプロ入りへとかじを切った。

 “寝業師”根本専務が今回も“仕掛けた”という見方をする関係者も少なくなかった。ダイエーは3位で駒大の本間満内野手を指名。「わざわざもめるはずの駒大の選手を獲るのがクサい」と指摘した他球団のスカウトもいたほどだった。

 逆指名制度という新ルールができた後も登場した豪腕・根本のウルトラC。この問題を受けて、プロ拒否を表明した選手は指名できないという規則ができた。西武の管理部長以来、根本が与えた“影響”はドラフト会議の歴史そのものでもある。


【2009/11/18 スポニチ】
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