【12月17日】1999年(平11) 


 めぼしい選手は根こそぎ取ってしまえ。そう指令が出ているとしか思えない、3人目の左腕投手獲得だった。巨人は阪神を解雇されたダレル・メイ投手と仮契約。契約金、年俸合わせて1億5000万円で合意したと発表した。

 「優勝が狙える巨人でプレーできることは大変光栄だ」とコメントした27歳の左腕は阪神での2年間で4勝9敗、6勝7敗と決して実績を残したというほどの成績ではなかったが、とにかく巨人は左投手が欲しかった。

 99年、巨人は6人の左投手が1軍で登板したが、計7勝しかできなかった。先発投手だけでみればなんと1つも白星が付かなかったという深刻な状態に陥っていた。FAでダイエーから工藤公康投手が入団、石井浩郎内野手を出してロッテから河本育之投手をトレードで獲得、そして日本でプレーする希望を示していたメイにも食指を伸ばした。1軍で勝ったことのあるサウスポーなら、それこそ次から次へと手を付けていった。

 メイには大きな問題点があった。阪神退団も成績というよりも、本人の性格と素行が原因だった。99年7月18日、甲子園での巨人18回戦で、一塁ベースカバーに入ったメイは、ベースを踏んでいないという判定で内野安打となり、それがきっかけで逆転負けを喫した。メイは審判に体当たりした上に、暴言まで吐き退場処分に。その後2週間の謹慎を言い渡されたが、それを無視して調整期間中に女性同伴でグアムに歯の治療に出かけてしまった。

 怒り心頭の野村克也監督は処分明け後も1軍復帰を許さなかったが、今度はメイが逆ギレ。英語で書いた監督批判文をマスコミに配布して、野村監督を口撃。事実上解雇のシーズン中無期限謹慎と罰金1200万円を命じた。

 これだけのトラブルメーカーにもかかわらず、巨人は短気で日本の野球を甘く見ている左腕投手を獲得した。優勝から遠ざかって3年。2リーグ分裂後、4年連続V逸は過去に例がなかった巨人の背に腹はかえられぬ必死の補強だった。

 背番号も前任の“トラブルメーカー”が付けていた「42」に決まった。「肩に小錦が乗っているようだ」と迷言を吐いたロッテから移籍のエリック・ヒルマン投手は42番を背負い、投げた試合は2年間でわずか2試合。契約金、年俸で計5億円の大金はちゃっかりもらってさっさと帰国した。不吉な予感がした番記者も少なくなかった。

 「メイ?大丈夫でしょう。紙爆弾も巨人ではやらないでしょう。キャンプ中によく話し合いをします」と鹿取義隆投手コーチはやけに自信がありげだった。それもそのはず年俸は自由契約選手でありながら、4000万円アップ。さらにまた契約金が入るのだから、これ以上のウハウハな待遇はない。しかも優勝が狙えるチームとあって、メイの態度は大きく変わった。メイは契約の席上、監督、球団の指示に従わぬ場合はどような処分も受けると約束した。

 阪神戦でわざと危険球を投げるなど、その性格は簡単には直らずハラハラのし通しだったが、1年目12勝をマークし、工藤とともにV奪回に貢献した。00年も10勝し、さあ3年目と再契約しようとした巨人だが、今度は大リーグ復帰を希望。カンザスシティ・ロイヤルズの一員になり、日本を去った。03年に10勝したのは、まさに日本で修行した4年間で覚えた投球術のたまものだった。


【2009/12/17 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()