【2月6日】2004年(平16) 


 噂は本当だったのか…。入団会見の席上、報道陣の1人が単刀直入に尋ねた。「契約の中で、全試合スタメン出場という条件があると聞いているが、それは間違いないのか?」。

 真新しい巨人の背番号20のユニホームに袖を通した、タフィ・ローズ外野手はひと呼吸置き、笑みを浮べながらおもむろに答えた。「自分はずっとそういう野球人生を送ってきたので、そこは譲れない部分だった」。

 言葉こそえん曲的に言ってはいたが、直訳すれば「オレがスタメン出場しないなんて考えられない。それが認められなければ巨人には入らない」という意味に聞こえた。近鉄での8年間で通算288本塁打を放った強打者を獲得するために巨人は2年契約総額18億円、家賃月60万円の高級マンションという好待遇だけでなく、出された条件をほぼまる飲みしていたともとれる“重大発言”だった。

 堀内恒雄監督が掲げた「チーム内の競争」はレギュラーは誰も決まっておらず、し烈な競争を経て獲得するものという大前提の方針と違う“密約”がローズと球団の間で結ばれていた!?--。巨人入団について「凄いいい選手ばかりがいて、人気もある。米国で言えばヤンキースのようなチーム。いつも勝利を追求している日本で最高の集団。そのチームの一員になれるのは光栄だ」と上機嫌のローズとは対照的に、巨人首脳陣は青ざめた。

 球団はすぐに“火消し”に走った。会見終了後、原沢広報部長が急きょ番記者を集め、慌てて発言の“訂正”。「ローズが言ったような事実はありません。ローズと通訳の意志の疎通が上手くいかなかったのだと思う」。苦しい言い訳に聞こえた。ローズは日本に来て8年。関西弁もしゃべる日本語に堪能な選手だった。よほど通訳が誤訳しない限り、間違えることはない。

 言い訳ができないトップは口を閉ざした。三山球団代表は「そんなことは知らん。国際部長に聞いてくれ」と逃げ、渡辺恒雄オーナーも「そういうことは知らんのだよ。話すことはない」と、誰もが知らぬ存ぜぬだった。

 03年に「読売グループ内の人事異動」という理由をつけて日本一を勝ち取った原辰徳監督を1年の失敗だけで更迭し、堀内監督を迎えた巨人は何が何でも優勝したかった。ロベルト・ペタジーニ一塁手という左の大砲がいながらも、あえて同じ左の長距離砲を大枚はたいて巨人は獲得し、力づくで日本一奪回を目指した。

 が、90年代の巨人が各チームの「4番コレクション」で失敗した二の舞が演じられた。ローズは6試合欠場したものの134試合で目標の35本塁打90打点を上回る45本塁打99打点を記録。本塁打王にも輝き、チーム全体でも205本塁打の球団新記録を樹立したが、防御率は4・45のチームワーストでは3位に入るのが精いっぱいだった。

 「巨人の一員になれて光栄だ」と言っていた男が1年後には「巨人なんて大嫌いだ」と180度代わった時点でその存在はもう必要なかった。優勝に貢献できなかったローズは、再度原体制に戻ると巨人を退団。1年のブランクを経て、07年オリックス入りしたが、3年プレーした後、10年は連絡が取れないまま契約解除。このまま日本球界から姿を消すことになりそうだ。

 日本球界で外国人選手最多の1792本と464本塁打の誇れる記録を残しているにもかかわらず、いつものことではあるが残念な去り方である。


【2010/2/6 スポニチ】
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