【2月15日】2001年(平13) 


 実戦形式の場で、これほど強烈なお披露目アピールはなかなかお目にかかれない。阪神キャンプはこの日初のシート打撃。野村克也監督が与えた課題は「少ない安打でも得点を奪う攻め」だったが、それを最初にしてみせたのが、ドラフト4位入団の赤星憲広外野手だった。

 1死一、三塁のケース。一塁走者の藤本敦士内野手がスタートをきって2、3歩のところでわざとコケてみせ、投手が一塁に投げた瞬間に三塁走者の赤星が本塁を狙うというトリックプレーを見事に成功させた。藤本のアシストも良かったが、一塁手がホームに投げるのをあきらめるほど、赤星のスタートと走り出してからの加速は完璧だった。

 練習とはいえ、期待通りのプレーに野村監督は「素晴らしい。赤星の足はクリンアップに匹敵するほどの攻撃力と同じ。だいぶ(目指している)野球ができそう。少し楽しみになってきた」とご満悦。赤星、藤本ら足のある7選手をF1セブン”と名付けたノムさんだが、その1号車の赤星の快速かつ積極果敢な走塁に、これまで阪神になかった攻めのバリエーションが確立する予感を抱いた。

 「リードで間を計っていいスタートがきれた。自分はああいうプレーでアピールしていくしかないですから」と赤星。左前打で出塁し、監督の息子カツノリ捕手から楽々二盗に成功。三塁ゴロで三塁まで進んだ後のホームスチール。鮮やかすぎる“デビュー戦”だった。

 「足しかない選手。バッティングはプロでは通用しない」。これが阪神スカウトの赤星評だった。ヤクルトなども赤星の足に注目したが、同じ理由でドラフトの指名候補に名前は残らなかった。

 だが、野村監督との出会いが人生を変えた。00年JR東日本の選手でシドニー五輪代表候補だった赤星がプロアマ交流で阪神キャンプに参加。そこで足の速さと走塁のセンスにノムさんが目を付けた。「足だけで食える選手や。バッティングは非力だが逆方向に転がせば全部内野安打や。ホームラン打てんでもええ。ここで1点の場面に使いたいんや」と、編成会議で拝み倒して4位指名にこぎつけた。

 「新庄(剛志外野手、01からメジャー移籍)さんの穴は僕が埋めます」「盗塁王は普通にやれば獲れると思います」--。入団当初からそう豪語した赤星だったが、その通り39盗塁で新人としては2リーグ分裂後初の盗塁王となり、新庄に代わってセンターのレギュラーを勝ち取り、ドラ1ルーキー巨人・阿部慎之助捕手を抑えて新人王にも輝いた。

 50メートル5秒6の快速もさることながら、嫌いだった筋トレを積極的に行い、食べることで体力を付け、野村監督の助言どおり左方向に打つ打撃を心がけ、内角の速球に負けないよう打撃練習を繰り返した成果だった。

 野村監督との付き合いは1年で終わったが、その後阪神は09年までに03、05年と2度リーグ優勝。赤星はその間、5年連続盗塁王となり、優勝への貢献度はチームで1、2を争うと言っても過言ではない。

 09年限りで突然無念の引退。阪神はこの功労者に10年3月14日の巨人とのオープン戦を引退試合にしようと企画したが、赤星本人はこれを固辞した。「オープン戦とはいえ、開幕直前の大事な調整の場。今年はV奪回をめざして選手もチームも一丸となり、必死に戦っている」というのがその理由だった。05年の日本シリーズでの4連敗、08年の13ゲーム差を巨人にひっくり返された屈辱…。その悔しさを晴らせぬままユニホームを脱がざるを得なかった赤星の熱い思いを、阪神は10年のシーズンにぶつける。


【2010/2/15 スポニチ】
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