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【2月14日】1977年(昭52) 


 プロ野球選手がどちらかという男の子の憧れの的だった時代。バレンタインデーにキャンプ先へ郵送でチョコレートを送るギャル(今では死語か…)たちは、そんなに多くなかった。が、女性ファンに騒がれるのもまんざらではない選手たちは、密かにチョコが何個プレゼントされるか、けっこう気にしていた。

 スポニチの各球団番記者ができる限り情報を集めた(キャンプの宿舎に届けられた分のみ)ところ、77年のキャンプで一番チョコを多くもらったのは、阪神・掛布雅之三塁手。前年打率3割2分5厘、27本塁打と大ブレークした22歳の若虎の活躍を女の子たちが見逃すはずもなく、前年の32個から倍以上の70個以上を集めた。

 金額にして100円もしないものから、数千円の高級チョコレートまで種類は多彩。眺めている分には楽しいが「こんなにたくさん食べられませんよ」というのが本音。箱の山を前に途方にくれる掛布だった。

 2位はなぜか、巨人・淡口憲治外野手で、掛布に大きく離されたものの30個を獲得。打席に入り、投手が投球動作に入る際に、ヒップを内側に締めるように「クッ、クッ」とひねりを入れる仕草がたまらない…という女性の声で予想外の数のチョコが集まった。私生活では“年金”というニックネームを付けられるほど、地味で堅実な男だったが、野球では長嶋茂雄監督が“コンコルド”と命名。打球の速さでは王、張本以上とホレ込んだ逸材は、76年の開幕当初1番に座り、最下位からの復活をかける巨人の象徴として打率4割をキープ。大きく注目されたのが球界2位の数字につながった。

 かわいそうだったのはロッテ。チームでは水上善男内野手の3個が最高で、後は2選手に1個ずつという信じられないくらいの人気のなさ。ただ、こんな声も聞かれた。「チョコレート売っている会社のチームにチョコレートプレゼントするのもなんだかヘンだし…」(ロッテの宿舎の女性従業員)。

 翌78年も掛布は球界1位を獲得したが、3連覇はならなかった。79年といえば、まさかのトレードで巨人から移籍してきた小林繁投手が大人気となった年。キャンプ合流4日目にしてチョコレート獲得数NO.1になった。おしゃれには人一倍気を使うダンディな男は紳士服のCMでモデルを務め、美声をかわれレコードまで出すマルチな才能を発揮。江川卓投手とのトレードで悲劇の主人公というストーリーも後押しして、女子のハートが動いたようだ。

 やがてプロ野球も愛甲猛(横浜高→ロッテ)、荒木大輔(早稲田実高→ヤクルト)というような甲子園で“追っかけギャル”たちの熱い視線を一身に浴びたアイドル選手が入団し、女性も注目するようになった。バレンタインデーに届けられるチョコの数も数十枚から200、300枚に増える選手も珍しくなくなった。

 プレゼントされた大量のチョコレートはさすがに1人では食べきれず、ファンに感謝しつつ、キャンプ地などで施設に預けられている子供たちなどに選手からプレゼントされることも多い。


【2010/2/14 スポニチ】
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