【1月3日】1999年(平13) 


 徹夜組10人を筆頭に、その列はみるみるうちに長くなっていった。開店2時間前の午前8時にはその数ざっと5000人。何の列かよく分からないまま「何かありそうやから」と飛び入り参加する人まで登場。想定外の長さになった行列は、収拾がつかなくなりつつあった。

 行列の正体はこの日売り出される、阪神百貨店の“ノムさん福袋”を買い求めようとする客がつくったものだった。百貨店側は危険防止のため、午前9時から配布予定だった整理券を前倒しして配ることになったが、用意した福袋は限定1300個。先着順の“プラチナチケット”はわずか15分でなくなってしまった。

 優勝から遠ざかること13年。ダメ虎阪神の監督に、ヤクルトで3度日本一になった野村克也監督が“移籍”したのが98年オフ。「よくぞ決断してくれた」と虎党は熱烈歓迎した。

 そのノムさん人気にあやかった阪神百貨店が正月の初売りの目玉として“ノムさん福袋”を販売することになった。「野村監督のパワーで景気回復を図りたい。大阪は阪神タイガースとともに活気があふれるようになる」と同百貨店は鼻息も荒く、価格は1万円に設定。袋には野村監督のイラストが描かれた、直径25センチのステッカーが貼られていた。

 セーターやマフラーなど冬物の衣料品のほかに、時計や財布なども入った、野球と関係なさそうな商品が多かったが、中には甲子園での阪神-巨人戦のペアチケットの引換券が入っている“大当たり”のものもあった。

 ノムさんを前面に出した阪神百貨店の初売りは大成功。この3日だけで入店者数は前年の10万人から3割アップの13万人に。ノムさん以外の福袋にも手を出す客も増え、売り上げも同日前年比18%増と、まさに野村監督サマサマのスタートとなった。

 野村阪神の1年目も滑り出しは快調だった。開幕戦で巨人に勝ち越すと、5月11日には7年ぶりの貯金4をマーク。6月上旬にはついに首位に立った。阪神電鉄の株価は上がり、金融機関は利率のいいタイガース預金を開始。ノムさん効果で大阪の経済が元気になった。

 が、それも梅雨が本格化するのと時を同じくして下降線をたどり、後半は9連敗、12連敗と黒星街道。結局、借金25で2年連続最下位。ただ、観客動員だけは3割増とここでもノムさんの経済効果は発揮された。

 翌2000年の阪神百貨店のタイガース福袋も盛況だった。前年より多い2000個も20分で完売した。今度もノムさん効果、と思いきや、結果を出せなかった指揮官には厳しく、ノムさんイラストシールは忘れられ、球団のマークである虎の絵柄を使用していた。

 2年目に福袋から“外された”監督は、3年目に最下位から脱出できないまま指揮官の座からも外された。


【2010/1/3 スポニチ】
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