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【1月13日】1989年(平元) 


 結婚からちょうど1年。記念日にロッテの右腕、荘勝雄投手が決意を新たにした。「最低でも(年俸)5000万円。妥協はできない。同じ台湾出身でこんなに差をつけられるのは納得できない」。

 前年から3度の交渉もいまだに合意に達せず、契約更改を済ませていなかった。球団提示額は4800万円。88年は13勝14敗で来日以来4年連続2ケタ勝利をマークし、オリオンズの勝ち頭だったが、チームが最下位とあって球団は負け数を問題にし、“大台”に乗せることを渋った。

 「僕は外国人選手。1年々々が勝負。成績が悪くなったらすぐ切られる。身分の保障がない分、少しでも多く要求するのは何もおかしくない」と荘。加えて同じ台湾出身の中日・郭源治投手、西武・郭泰源投手の“数字”も気になった。郭源治はストッパーとして中日の6年ぶりリーグ優勝に貢献し、7勝37セーブで年俸9300万円に。郭泰源も13勝3敗1セーブでライオンズのV4を語る上で外せない存在で年俸6000万円に昇給した。

 台湾では“二郭一荘”と呼ばれる、同国が輩出した好投手として尊敬されていたが、所属している球団が弱いということで年俸の上で“郭差”をつけられたことが悔しかった。

 登録は外国人、年俸の上がり幅はチームの成績に連動する日本人扱いであることに不満を抱いていた荘はその後も交渉を重ねた。越年だけでなく、キャンプの自費参加の可能性も出てきた1月30日、ようやく39%アップの年俸5000万円と89年にタイトルを獲れば1つにつき100万円のボーナスを付けるというオプションで合意。キャンプ自費参加はなくなった。「90%納得。これですっきりキャンプに参加できる」と笑顔を見せたが、荘の扱いと金銭をめぐる逸話はこの後も続いた。

 89年にロッテ入りした新外国人のマイク・ディアス外野手が家族と住む東京都内の家の賃料が月200万円と報じられると、荘は「オレは月15万円のマンション。なんでこんなに差があるんだ」と反発。11勝(15敗)を挙げ、5年連続2ケタ白星をマークした年末の契約更改は、感情的なもつれもあって前年以上にもめた。

 前年5000万円で判を押したのと同日の90年1月30日、6度目の交渉でも合意しなかった。12球団ただ一人の未更改選手は7000万円を要求。球団は6500万円の提示で平行線をたどった。キャンプ不参加、最悪退団も口にしたが、8度目の交渉となった2月2日に合意。年俸は100万円上積みにとどまったが、12勝以上でのボーナスと他の外国人選手のように単年の成績が悪いからといって解雇しないという約束を取り付けた。

 しかし、身分が保障されたことで安心してしまったのか、90、91年と5勝ずつと低迷。91年オフに日本に帰化したが、ロッテが千葉へ移転してからは3年間勝ち星がなかった。年俸は1750万円までダウン。それでも球団は約束どおり、荘を即クビにはしなかった。

 荘が千葉移転後初めて勝利投手になったのは95年8月11日の西武18回戦(千葉マリン)。救援で2回を抑え、サヨナラ勝ちで白星が転がり込んできた。この通算70勝目を最後に荘は引退。その後はロッテ投手コーチを長く務めた。


【2010/1/13 スポニチ】
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