【10月3日】1984年(昭59) 

 【中日11―6阪神】まさか、と思った観客は恐らくごくわずかであっただろう。7回、中日の攻撃は2死満塁。打者宇野勝遊撃手を迎え、阪神・木戸克彦捕手は所定の位置に座らず、立ち上がった。マウンドの中田良弘投手が外角へ大きく外れるボールを投げた。 満塁で敬遠押し出し。過去に全くなかったわけではなかったが、これで宇野は初回から5打席連続の勝負なしの四球だった。「仕方ないですよね。それでも長い間野球をやってきて、満塁で敬遠されたのは初めて。もう2度とないんじゃないかな」と宇野。阪神の連続敬遠策は予想できたことだった。

 お返しとばかり阪神の主砲、掛布雅之三塁手も5打席連続敬遠を食らった。宇野と掛布はこの時点で37本塁打同士のホームランキングトップタイ。ち両チームとも残り2試合。対戦カードはこの2チーム同士だった。

 阪神・安藤統夫監督は「Aクラス入りもなくなった今、掛布の本塁打王をチームとしてバックアップしたい。宇野に打たせるわけにはいかない」と言えば、中日・山内一弘監督は「掛布は(阪神打撃コーチ時代の)教え子。宇野も教え子。どちらにもタイトルを獲らせてあげたい」。

 決して賢明な判断とは言えないことは分かっている。ファンはどういう結果になっても、敬遠合戦は見たくもないことも知っている。それでも、タイトルはプロ野球選手の勲章。球史に名前を残すかどうか、引退してみるとその重みが分かる。

 ファンのため息、野次、ブーイングがうずまくナゴヤ球場で、高い入場料金をとって見せるのにふさわしくない試合は両軍合わせて19四球という締りのない試合となった。

 かわいそうだったのが阪神先発の御子柴進投手は宇野を歩かせたばかりにリズムを崩し、谷沢健一一塁手に2打席連続本塁打を浴び、4失点。3回途中でKOされた。御子柴にとってシーズン2試合目の登板。83年にプロ初勝利もこの年は未勝利。1つでも勝っておきたかったが、醜いタイトル争いに巻き込まれた。以後、痩身のサイドハンド右腕は88年まで5年間も勝ち星に恵まれない日々を過ごした。

 一方で中日のベテラン鈴木孝政投手は掛布に無用な四球4つを与え、5点を失いながら6回まで何とか投げ16勝目。最多勝のタイトルを手にした。2年目の20歳とペースを崩されながらも持ちこたえた30歳右腕の経験の差が出た

 タイトル優先、試合そっちのけの敬遠に鈴木セ・リーグ会長は激怒。翌5日に声明を出し、これを非難。5日の甲子園での最終戦は慎むように警告した。

 だが、会長までコケにした敬遠合戦は続けられ、結局両者とも再度5打席連続敬遠で前代未聞の10打席連続敬遠、80球連続ボールという珍記録が球史に残ることになった。怒りの収まらないタイガースファンはライトスタンドからグラウンドに乱入。照明塔の灯りを消して追い払うということまでしてようやく騒動を収めた。

 「みんなに迷惑をかけた。特に投手の方には申し訳ない」と初の本塁打王となった宇野の表情は浮かなかった。一方、3度目のキングとなった掛布は「これじゃ打撃練習をしなくても一緒だった」と自虐的。「うれしい?早く忘れたいよ」と笑顔はなかった。


【2010/10/3 スポニチ】
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