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【7月14日】2006年(平18) 

 【阪神7-2広島】「入れ!入れ!」。7回、打球が左翼へ舞い上がった時、ベンチを飛び出して絶叫したのは、打った本人ではなく、一塁側ベンチにいた阪神・金本知憲外野手だった。

 感触はバッチリだったが、もちろん打ったその人も祈った。「届いてくれ!」。中日のアレックス・オチョア左翼手が頭上を見上げた。京セラドーム大阪の左翼スタンドの最前部に飛び込む1号ソロ本塁打。13年過ごした広島から阪神に移って2年目。ようやく飛び出した3年ぶりの一発は、代打本塁打20本目の区切りとなるメモリアル弾。歴代1位の高井保弘内野手(阪急)の27本には及ばないものの、名球会プレーヤー大島康徳内野手(中日→日本ハム)と並ぶ2位タイ。大島はセで16本、パで4本記録しているが、セで20本の大台に乗せたのは町田が初めてだった。

 そんな代打のスペシャリストがヒーローインタビューで言った言葉は「2軍の首脳陣やスタッフに感謝したい」だった。持病の腰痛のため、ファームでの調整を余儀なくされた。引退の2文字が頭をよぎる中、若手主体の育成の場である2軍で辛抱強く実戦の場を与え続けてくれた。2日前のウエスタンリーグ、サーパス神戸(オリックス)戦で代打逆転サヨナラ本塁打を放ち、1軍へカムバック。その最初の打席でのアーチだった。

 「自分のこと以上に嬉しかった」。お立ち台で肩を並べた金本が心から町田の本塁打を祝福。さらにファンに向かって叫んだ。「マッチ(町田の愛称)のホームランボールを持っておられる方、どうか譲って下さい。届けてくださった方には、僕のバットを差し上げます」。

 91年のドラフト会議。駒大・若田部健一投手(ダイエー、横浜)をくじで外した広島は、打者ではNO.1と評価されていた専大の町田を1位指名。その時の4位が東北福祉大の金本だった。金本も大洋入りした斉藤肇投手を広島が外したために指名された。“外れ者同士”という同じ境遇の2人は入団時から仲が良かった。

 右の長距離砲として期待された町田。プロでは非力というレッテルを貼られた金本。プロ入り当初の評価は大きな差があったが、町田が相次ぐ故障で戦線離脱が多かったのに対し、金本は“無事これ名馬”の言葉通り、年々力をつけた。気がつけばチームの中軸を打つ金本と代打の切り札町田という役割分担ができた。それでも金本は町田に一目置いていた。「マッチほど練習する選手はいない」。代打稼業がすっかり板に付いた後でも、町田は「いつかはレギュラーに」という気持ちを引退まで忘れず、練習量は他のどの選手よりも多かった。

 金本がわが事のように喜んだ一発は、町田にとって通算85本塁打のフィナーレを飾るものでもあった。この年の9月、戦力外通告をされ引退。タイガースの2軍打撃コーチに就任した。「好かれるより、嫌われるコーチになりたい」という町田コーチの下で、潜在能力の高い若虎たちの育成に励む毎日を過ごしている。


【2009/7/14 スポニチ】
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