【6月25日】1997年(平9) 

 【日本ハム6-4オリックス】優勝決定の瞬間でもないのに、1人の左打者が空振り三振をしただけで3万7000人の観衆がこんなに盛り上がことはいまだかつてなかった。

 日本ハム-オリックス14回戦(東京ドーム)の4回、2死二塁で三振をしたのはオリックス・イチロー。阪神・藤田平内野手が持っていた208打席連続無三振の記録を前日の24日に更新したものの、216打席でストップ。皮肉にも原野和夫パ・リーグ会長が特別表彰を決めた日だった。

 「おーっ、(三振は)こんな感じだったな、っていう感覚ですかね。今の気持ち?悲しみにうちひしがれているとでも言えばいいんでしょうかね。(94年のシーズン)200安打の時より、盛り上がりましたよね。ホント、三振してこんなに喜んでもらえて僕は幸せ者かと…」。記録が途切れて悔しいというよりは、これでいちいち番記者に記録のことを毎回聞かれなくて済む、という煩わしさから解放されることの方が嬉しくて、ジョークを交えた“イチロー節”がポンポン飛び出した。

 4月16日のロッテ2回戦(ナゴヤドーム)の2打席目、竹清剛治投手との対戦で三振を喫してから、だれも奪えなかったイチローからの三振。記録を216打席で止めたのは下柳剛投手。これまで対イチローは31打数10安打で3割2分3厘、三振はわずかに2個。天才打者に左対左のハンデはほとんど関係なく、下柳も三振よりも打ち取ることだけを考えて投げた結果だった。

 初球のスライダー以外、イチローはすべてバットを振った。下柳が決めにいったのはカウント2-0からの4球目。ストライクからボールからなる129キロのスライダーだった。これをイチローはカットしてファウルにした。

 「普通なら空振りや。さすがイチローやね」と下柳。無三振の間、イチローがツーストライクに追い込まれたのは66打席あったが、結果は58打数29安打7四死球1犠飛、打率5割。簡単に打ち取れないどころか、ヒットを打たれる確率がかなり高かった。

 変化球では仕留められそうもない。5球目、下柳と山下和彦捕手はインコース低めのストレートを選択した。「内野ゴロになってくれれば」との思いでより低くという気持ちが強かった下柳は「投げる瞬間指が引っ掛かって、変な球になった」。

真ん中からやや沈んだのが幸いした。142キロのボールにイチローのバットが音を立てず、クルリと回った。過去216打席中で空振りしたのはわずか8回しかなかったが、217打席目の9度目の空振りで記録は止まった。

 大きなため息と大きな歓声。それでも下柳はニコリともしない。「オレが盛り上げたわけじゃないし、三振もたまたまッスよ」。イチローと同じく、あれやこれや聞かれるのは嫌い。記録より、2回途中からリリーフ登板し、6回3分の2を投げ、ハーラーダービートップの7勝目を挙げたことの方が嬉しかった。

 イチロー三振の翌日、オリックス・仰木彬監督は報道陣を前に言った。「下柳ね、オールスターに選ぼうかな」。96年日本一の仰木監督は97年球宴のパ・リーグの指揮を執ることになっていたが、監督推薦での下柳の出場を“内定”した。「馬力もあるし、コントロールもいい。ロングリリーフもできる」と高評価。94年のダイエー在籍時以来、3年ぶりに移籍先の日本ハムから下柳は球宴に出場した。


【2009/6/25 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()