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【5月21日】2000年(平12) 

 【阪神1―0横浜】14連敗から脱出するためには何でもやる。阪神・野村克也監督は必死の投手リレーで対横浜戦の黒星街道をようやく止めた。

 9回、わずか1点リードの阪神は、横浜の先頭打者谷繁元信捕手に対し、6番手の葛西稔投手を投入。5番手で8回途中から投げていた遠山奨志投手を一塁へ回して、次に予測される左の代打に起用するつもりだった。

 かつて西鉄、大洋で日本一になった三原脩監督がよく使った、投手の“ワンポイント守備”。最近では珍しくなったが、どうしても勝ちたいノムさん。なりふり構っていられなかった。

 ところが、頼みの葛西が谷繁に左翼線に二塁打を打たれた。9番に入っていた木塚敦志投手に代わって、権藤博監督は代打に右の万永貴司内野手を送った。送りバントで三塁に走者を進め、犠飛でも同点にする形を作ろうとした。

 右対右でセオリーなら葛西続投のケースだが、野村監督は遠山をあえて7人目として再度登板させた。「左の方がバントを処理してサードに投げやすいから」と八木沢荘六投手コーチ。葛西はお役御免かと思いきや、野村監督は一塁を守らせた。宮城・東北高で横浜からシアトル・マリナーズへ移った佐々木主浩投手の控え投手だった葛西は一塁を守っていたが、それ以来の経験。「葛西はグラブさばきが柔らかい。不安はあまりなかった」と野村監督は自分の作戦に自信を持っていた。

 「草野球やってんじゃねぇーぞ」と、スタンドから野次が飛ぶ中、万永がバントを成功させると、1番石井琢朗遊撃手が1死三塁で打席に入った。左対左の対決で遠山が遊飛に仕留め2死。2番田中一徳中堅手の打順で今度は代打進藤達哉内野手が登場した。

 この回、3度目の投手交代を告げた野村監督。一塁から葛西が再度マウンドへ登った。また遠山が一塁に入るのかと思いきや「ルールで1回しかできんのや」(野村監督)。野球規則3・03【原注】には「同一イニングでは、投手が一度ある守備位置についたら、再び投手となる以外他の守備位置に移ることはできないし、投手に戻ってから投手以外の守備位置に移ることもできない」と規定されていた。

 “8番手”投入で奇策はもうできなくなった阪神。葛西は進藤から三振を奪い、1―0のスコアにもかかわらず、試合時間3時間45分かかったゲームはようやく終了。阪神は99年8月18日から続いていた横浜戦の連敗を14でストップした。

 1人の投手が1試合で2度投げたことは過去何度もあったが、2投手が2度ずつ投げたのはこれが2リーグになって以降、21年ぶり2度目。79年8月19日、中日―阪神19回戦(ナゴヤ)で、阪神は8回2死で左の山本和行投手から右の池内豊投手にチェンジ。山本を右翼に入れ、9回になると山本が再度登板。池内が左翼の守備につき、1死後、池内がまた投げ2人を打ち取ってゲームセット。3―2で逃げ切った。

 1リーグ時代の記録は不明だが、2度とも阪神というのが偶然ながら面白い。

【2011/5/21 スポニチ】
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