【5月8日】1983年(昭58) 

 【ロッテ3―2西武】100%あり得ないと思っていたことが、目の前で起きたことに3万5000人の西武球場の観客はどよめき、その後大きな拍手に変った。

 3回、西武は4番の指名打者、田淵幸一内野手がロッテ先発の深沢恵雄投手から四球を選んで出塁。5番テリー右翼手が倒れた後、6番片平晋作一塁手の3球目に猛然とスタートを切った。「ウソだろ?」。ベテランの土肥健二捕手は信じられない気持ちで二塁へ送球。水上善雄遊撃手がタッチしたが、スライディングをした田淵の足がわずかに早く、二塁ベースに到達した。

 背番号22のシーズン初盗塁。それどころか、80年6月6日の南海前期9回戦(大阪)以来、3年ぶりの盗塁成功だった。

 サインで走ったのか?「カウントが2ボール。深沢は得意のカープでストライクを取りにくると思った。完全に、100%セーフになる時じゃないと僕は走らないよ。ノーマークだったし、いけると思った」と田淵。田淵は走らない、というイメージが定着していたことが、意表をついたスチールを成功させた。プロ15年目にして、これが通算18個目の盗塁だった。

 この4年前にヒットした、アニメ映画「がんばれ!!タブチくん」の中で「絶対にあり得ないこと」の意味として使われた“タブラン”=タブチ君のランニングホームランという言葉があったが、それが本当ではないことを現実の田淵が証明した盗塁だった。

 前年の82年、西武は中日を倒し、日本一となり、広岡達朗監督の著書「意識改革のすすめ」は大ベストセラーになったが、チーム内で一番意識改革をしたのが、ほかならぬ田淵だった。

 就任当時はぶつかりあった広岡監督と田淵。天才アーチストは、自分が本塁打を打てばチームが勝てると信じ、広岡の標榜するチームプレーと対立。トレード志願までしたほどだった。

 しかし、広岡監督の采配で優勝から遠ざかっていたライオンズが日本一になると、一番の広岡信奉者は田淵となった。「チームにとって何が一番大事かといえば、優勝することはかない。勝つためには個人の欲望を捨てて、全体の利益のためにプレーする。バッティングもホームランより状況に応じた打撃が必要。走塁も隙があれば次の塁をどん欲に狙う姿勢がなくてはならい」と田淵。3年ぶりの盗塁はそれを実践したものだった。

 田淵は翌84年に引退。この日の盗塁は現役最後となったが、広岡監督の前で見せた公式戦最初で最後の盗塁。「あの田淵の姿勢ですよ。どんな状況でも先の塁を積極的に狙う。これが勝てるチームなんです」。広岡のほめ言葉を番記者から間接的に聞いた田淵は子供のような笑顔を見せた。

【2011/5/8 スポニチ】
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