【5月2日】2010年(平22) 

 【横浜4―1ヤクルト】グラウンドであまり笑顔を見せない男から白い歯がこぼれた。メジャー51勝右腕、日本での古巣・横浜に戻ってきた大家友和投手が神宮でのヤクルト9回戦に先発、6回1/3を投げ、6安打1失点で交代。リリーフ陣が後を締めて、復帰第1戦を見事白星で飾った。

 「正直、うれしい。緊張?少しはあった」。日本を離れたのが98年オフ。横浜が前身の大洋優勝から38年ぶりの歓喜に酔いしれていた中で、単身渡米を決意した時は22歳。マイナーリーグから這い上がって、何度も落ちながら何度も戻ってきて6球団を渡り歩き、メキシカンリーグまで経験したが、12年ぶりとなる日本のマウンドはさすがに平常心ではいられなかった。

 かつてはストレートの速さで押す魅力があったが、歳月の流れは投球スタイルを変えた。ツーシームにスライダーを有効に使い、真っ直ぐは微妙に揺れたり変化したりと、打者を幻惑した。

 ヤクルトはヒットこそ出るが、あと1本が出ず、首をひねりながら選手はベンチに戻った。140キロそこそこのストレートなのにバットの芯でとらえられないもどかしさが一塁側ベンチに漂った。

 大家のプロ初勝利は94年4月29日、相手は同じヤクルト。8回に3球だけ投げて、味方の逆転劇で幸運にも白星が付いたといった具合だったが、今度は先発で自ら勝ち取った白星。実に5847日ぶり、16年かかっての通算2勝目だった。

 メジャー帰りの投手が日本で勝利を挙げたのは、66年、サンフランシスコ・ジャイアンツから戻った南海・村上正則投手をはじめ、伊良部秀輝(阪神)、高津臣吾(ヤクルト)に続いて大家が4人目。この中で最長ブランクは伊良部の7年。メジャー歴とは関係なく、次の勝利までの最長ブランクは一度打者に転向した阪神・遠山奨志投手の10年という記録があったが、それを大きく上回る記録となった。
 10年以上、日本球界を離れていたが心の中には「いずれは日本でまた投げたいと思っていた」。メジャー51勝は野茂英雄投手の123勝に次ぐ、日本人投手として2番目の勝ち星。堂々の凱旋となった。

 未熟児として生まれ、病弱だった少年時代。小学校低学年のころは、野球どころかスポーツにも興味を示さなかった。人生を大きく変えることになったのは、人気野球漫画「ドカベン」との出会い。野球を始めたのは小学3年生の時だった。

 京都の実家からは母親が上京し、この日神宮で観戦。プロ野球で投げる息子の姿を実際に見たのはこれが初めてだった。「観客のみなさんが、こんなに応援してくださって涙が出そうです」と感激。京都成章高時代、自身の結婚を遅らせてまで学費の面倒を見てくれた兄にも恩返しした通算“53勝目”だった。

【2011/5/2 スポニチ】
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