【5月9日】1999年(平11) 

 【近鉄4―3日本ハム】得点は3点入ったが、わずか2安打で敗れた日本ハム。2本とも打ったのは3番の指名打者、片岡篤史内野手だった。

 4回、近鉄先発の高村祐投手から打ったチーム初安打は、大阪ドームの右翼スタンドに吸い込まれた右越えの4号ソロ本塁打。4月25日の同じ大阪での近鉄戦で走塁中に左足のふくらはぎを痛めたが、「これなら全力疾走しなくて済む」と本塁打に満足顔だった。

 この一発で2点差に詰め寄ったが、その後チーム打率2割8分近い日本ハム打線は近鉄の投手陣の継投の前に沈黙。全くの音なしで9回を迎えた。

 1死一塁で片岡の4打席目。ワンポイントリリーフで登板した、左腕柴田佳主也投手の5球目をとらえた打球は再び右翼スタンドへ。1試合2本塁打となる5号2点弾で1点差に。近鉄は守護神のカルロス・バルデス投手を投入。なんとか逃げ切った。

 チーム全体で2安打、それが2本とも本塁打というケースは大変珍しく、これで3度目で実に16年ぶりの記録。過去2度はセ・リーグの試合で、パ・リークでは初の珍記録となった。

 16年前の83年(昭58)は中日のケン・モッカ三塁手が記録。4月21日、ヤクルト2回戦(ナゴヤ)で、5回に松岡弘投手から左翼へ1号ソロを放ち、7回に2打席連続となる2号を今度は右翼へ運んだ。

 試合はヤクルトが3―2で勝ち、松岡は完投勝利を収めているが、2本の本塁打以外、出した走者は味方の失策による3人のみ。四死球はゼロ。「腹が立つ。103球のうち、力んだのはモッカへの2球だけ。それを打たれた」と通算180勝の節目の勝利も、笑顔はなかった。

 チーム2安打のすべてが、一人の打者による2本塁打で勝ったのが、68年(昭43)9月11日、阪神23回戦(川崎)での大洋。1番重松省三中堅手が、でジーン・バッキー投手からソロ2本を放ち、平岡一郎投手がシングルヒット3本に抑えてプロ初完封勝利を収めた試合だった。

 この時大洋は先発投手陣の台所事情が苦しく、対左打者へのリリーフが主な仕事の平岡が急きょ先発。阪神の大黒柱、バッキーとの投げ合いで勝てる見込みは少なかったが、思わぬ勝利となった。

【2011/5/9 スポニチ】
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