【7月27日】1967年(昭42) 

 【全パ9―6全セ】その時、西宮球場の2万7967人の観衆から大きなどよめきが起きた。4回裏、全パの攻撃を前に場内アナウンスでコールされたのは、阪神の新人左腕、江夏豊投手。これでオールスター全3戦すべての試合で登板することになった。

 この登板に頭に血が上ったのは阪神・藤本定義監督。神戸の自宅でテレビ観戦していた藤本監督は大声で怒鳴った。「テツの野郎、江夏をつぶす気か!」。全セの指揮を執る、巨人・川上哲治監督に届けとばかり、家族が飛び上がるほどの剣幕だった。

 球宴で3連投は前代未聞。しかも、他球団から預かっている大切な主力選手の扱いには、かなり気を遣うはずだが、川上監督は何を思ったのか、新人投手であり、阪神のローテーションの一角を担っている江夏に3連投させた。

 25日の第1戦(神宮)で1回3分の2、26日の第2戦(中日)で2回を投げた。さすがに今日はベンチでゆっくりと、気楽に球場入りしたところ、川上監督から信じられない言葉を聞いた。「きょうは二番手で行くぞ」。ルーキーが大先輩に逆らえるわけでもない。予想だにしなかった3連投に、言われた瞬間は立ちつくすしかなかった。

 前の2試合で2安打5三振と出来の良かった江夏だが、先頭の森本潔三塁手(阪急)に中前打を許すと、続く土井正博中堅手(近鉄)は三ゴロに仕留めた、と思いきやこれを巨人・長嶋茂雄がこれをエラー。無死一、二塁となった。

 マウンド上で明らかにふてくされているのが分かった。なるべくならカーブでかわす投球で、体力を消耗したくなかった江夏だが、まだ弱冠18歳。面倒だ、とばかりストレートで三振を取りに行く選択をした。すると、4番張本勲左翼手(東映)、5番長池徳士右翼手(阪急)を連続三振。あと1人となった。

 しかし、ここで若さが出た。力んだ江夏は野村克也捕手(南海)に四球を許し、2死満塁となった。7番は大杉勝男一塁手(東映)。2球目はカーブだった。直球ばかり続けてはと、目先を変えたつもりのカーブが真ん中に入った。球宴初出場の大杉のバットがフルスイングをした瞬間、打球は左翼席上段へと消えていった。

 満塁本塁打を浴び、結果は最悪だったが、これでお役御免になると思った。ところが、川上監督は続投を指示。5回もマウンドに上がった。2死を取ったものの、打者一巡して再度森本と対戦し、四球を出した。江夏の真っ直ぐは明らかに球速が落ちていた。

 ようやく川上はリリーフに板東英二投手(中日)を送り交代。回の途中で中途半端な交代に、テレビの前の藤本監督はすでに冷静さを失っていた。西宮球場に電話し受話器を通じて怒鳴った。「テツを呼んで来い。人のチームの投手をなんだと思っているんだ!」。

 藤本監督が怒鳴り散らすのも無理はなかった。投手がいないのならまだしも、全セのベンチにはまだ1試合しか投げていない投手が何人もいた。特に巨人・菅原勝矢投手は第1戦で1回を投げただけ。ベテランといえども金田正一も城之内邦雄も初戦に投げたきりで投球練習さえしていなかった。

 ペナントレース後半戦を前に、2位阪神とは10ゲーム差あるとはいえ、石橋を叩いて渡る川上監督にとっては阪神は脅威。中でも新人江夏のイキの良さには正直恐れていた。“江夏つぶし”ととられても仕方のない起用。川上が巨人入団時監督だった藤本にしてみれば、かつての部下にいいようにされたという気がしてならなかった。

 8月に入って最初の巨人3連戦。藤本監督は巨人戦に2勝1敗と勝ち越した。第2戦では江夏を立てて勝利。「テツの姑息な手でつぶれる江夏ではない」という言葉をあえて巨人の番記者にしゃべった藤本監督だった。

【2011/7/27 スポニチ】
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