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【8月1日】2007年(平19) 

 【ヤクルト11―3阪神】それまではバットで2打数2安打。大当たりの助っ人だったが、まさか次とその次は体に“大当たり”とは想像だにしなかった。

 甲子園での阪神―ヤクルト13回戦の5回、ヤクルトの先頭打者アーロン・ガイエル右翼手は阪神・下柳剛投手の内角球を左ひじに受けて死球で出塁。早くもシーズン19個目のデッドボールに、苦笑しながら一塁へと歩いた。

 ガイエルは次打者のアダム・リグス一塁手の遊ゴロ併殺打で、すぐにベンチに戻ったが、その後下柳が乱れ、ヤクルトは安打と四死球で計7点を奪い、下柳をKO。いつの間にか打者一巡の猛攻になり、再度ガイエルに打席が回ってきた。

 2番手は岩田稔投手が登板。矢野輝弘捕手はインコースを要求した。要求通り、岩田のストレートは内角へ。が、球はわずかに打者寄りに入りガイエルは体をひねって避けたが、ボールは右わき腹付近に直撃。1イニング2つ目の死球となった。

 1度目は苦笑いしていたガイエルも、今度は目が座っていた。一瞬、マウンドに向かいかけたガイエルに、両軍ベンチは敏感に反応。一触即発の雰囲気が漂った。

 しかし、この助っ人は感情をコントロールできた。一塁に向かってゆっくり歩き出したガイエル。“主人公”が引っ込んだのなら、周りが出て行く必要もなく、その場は収まった。

 1イニングで同一の打者が2死球という珍記録は、76年(昭51)8月31日の広島―中日16回戦(ナゴヤ)の3回、広島・衣笠祥雄三塁手が中日・青山久人、金井正幸投手から“当てられて”以来、31年ぶり。実はガイエルの2死球の間に、福川将和捕手もぶつけられており、1イニング3死球は日本記録タイというおまけまで付いた。

 感情のままに乱暴な行為に出なかったガイエルだが、言いたいことは山ほどあった。「故意だとは思わないが、内角にきちんとコントロールできないのなら、違った配球をすべきだ」。普段から「日本の審判は内角と高めのストライクゾーンが広くて困る」と話していた。そこに戸惑いを感じていると分かれば、他球団のバッテリーは徹底的に攻めてくる。それはガイエルも覚悟の上だったが、制球できずに当ててしまうのは、プロの投手ではないと言い切った。

 この年23死球でリーグトップに。その後、数は減少傾向にあるが、毎年2ケタを数える。来日5年目、腰痛や他の外国人の活躍で出番はめっきり減ったが、死球の数は2010年までで計65個である。

【2011/8/1 スポニチ】
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