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【8月10日】1985年(昭60) 

 【大洋17―5広島】初回からいきなりの派手な仕事が、特別な1日を予感させた。

 広島市民球場での広島―大洋18回戦。大洋の4番レオリ・リー一塁手は、津田恒美投手のストレートを右中間スタンドまで運ぶ、先制の19号満塁本塁打を放った。

 これが通算200号のメモリアル弾。外国人選手としては6人目の快挙だった。「記念のホームランを満塁で飾れるなんて嬉しいよ。運がいいね。まあ、夏場は任せてくれよ。調子は毎年いいから」と、試合中に球団広報に語ったホームラン談話。きょうツイている。そう感じたレオンのバットは打ち出の小槌だった。

 先発の欠端光則投手が乱調で、2回に5点を奪われ、レオンの先制弾のリードを吐き出したが、直後の3回に2番手の北別府学投手から中堅へ2打席連続の2ランを放ち、再度逆転に成功。5回には白武佳久投手のストレートを再度右中間へ飛ばし、3打席連続となる3点本塁打が飛び出した。

 この時点で3本塁打9打点。広島に舞い上がった、真夏の大花火大会はフィナーレでソロを打てば、個人としては史上初の1試合“サイクル本塁打”に。7回、レオンは中前適時打を放ち、1試合10打点のセ・リーグ新記録を記録したが、肝心の4本目は飛び出さなかった。

 しかし、土曜日のナイターはちょっとした“奇跡”を引き起こした。広島から離れること約1250キロの仙台宮城球場でのロッテ―阪急19回戦で、ロッテの4番指名打者で出場したレオンの兄のレオン・リー外野手が、今井雄太郎投手から右翼へ14号ソロ本塁打を叩き込んでいた。場所は違えど、兄弟競演で1日に“サイクル本塁打”が記録された。

 思えば、いつも弟をアシストしてくれたのが兄だった。セントルイス・カージナルスの2Aでブルペン捕手をしていたレオンを「メジャーに行けるチャンスがないなら、日本で挑戦してみろ」と、兄はロッテ首脳陣に弟のテスト入団の橋渡しをした。

 入団は決まったが、変化球が打てず、当時の金田正一監督に「誰だ!こんな使えない外国人連れてきたのは!」と激怒させたが、これも兄の丁寧な指導で克服。リー兄弟はロッテの看板となり、80、81年の前期優勝に貢献した。

 仙台で弟の快挙を知った兄は「グレートだね。10打点で日本新記録ではないのか?11打点で新記録タイ?それは残念。僕のきょうの本塁打と打点を弟にプレゼントできないかな。電話をして祝福するよ」。どこまでも弟思いの兄だった。

【2011/8/10 スポニチ】
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