【7月20日】2000年(平12) 

 【ロッテ7―2ダイエー】決め球のシュートが冴え、スライダーもいいところに決まった。2万8000人が集まった千葉マリンスタジアムで、ロッテの小野晋吾投手が7回途中まで4安打2失点投球をみせ、4月23日のオリックス5回戦(仙台)でシーズン1勝目を挙げて以来、これで10連勝となった。

 10連勝のスタートが日曜日で、以後も毎週日曜日に勝ち星が付いたことから、付いた呼び名が“サンデー晋吾”。15年前の85年(昭60)、チームの大先輩である村田兆治投手がひじの手術からの復帰で、日曜日ごとに先発し、連勝したことで“サンデー兆治”と呼ばれたが、6月25日のダイエー13回戦(福岡ドーム)で8連勝を飾り、小野は村田の記録を抜いた。

 さらに7月9日の日本ハム16回戦(千葉)で9連勝に。最下位争いに沈んでいたロッテにとって、小野の連勝街道だけが明るい話題だった。

 が、9連勝をマークした試合で右ひじに違和感を訴え、完封ペースの試合を途中降板。登録抹消にはいたらなかったが、疲労回復のため、中6日での日曜日の登板を回避。中10日でこの日の登板となった。

 7月20日は木曜日だったが、「海の日」で祝日。サンデーで9連勝、祝日で白星と、これで休日10連勝となった小野は「なんででしょうね。お客さんが休みの日に勝てるのは。ファンの方がたくさん見に来てくれるので、気分は乗ります。今度は平日でも頑張りますよ」と上機嫌で答えた。

 この10連勝でハーラーダービー、防御率、勝率と3部門でトップに。最終的にタイトルは最高勝率だけだったが、休日10連勝は思わぬ評価を受け、これがオフの契約更改に大いに役立った。

 12月14日、契約更改の席に臨んだ小野は年俸1200万円から一気に233%アップの4000万円で一発サインをした。ロッテでこれだけの昇給率を成し遂げたのは、82年に三冠王を獲った落合博満内野手の238%以来のことだった。

 「サンデー晋吾に代表される休日に10連勝したことは、明るい話題をファンやマスコミに提供した」とフロントは評価。当初はきっちり3倍増の3600万円だったが、小野自身も10連勝を強調する粘り腰で、切りのいい4000万円ジャストと別にタイトル料500万円を手に入れた。

 93年、ドラフト6位でプロ入り。初勝利まで6年かかった。初勝利から3勝し、その翌年の大ブレーク。荘勝雄投手コーチから教わったシュートをウイニングショットとしてマスターしたことが大きかった。

 サンデー兆治を超えたことで、背番号63から村田が付けていた29に変わったのは、休日10連勝記録を達成した翌年の01年からだった。(金額は推定)

【2011/7/20 スポニチ】
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