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【7月5日】1974年(昭49) 

 【中日3―0阪神】4回まで6安打を許したが、要所を締めると5回以降は向かうところ敵なし。ヒットを1本も打たれずに、129球で完封勝利を収めた。

 中日の左腕、松本幸行投手はこれでシーズン12勝目。広島・外木場義郎投手の11勝を上回り、ハーラーダービーのトップに立った。「別に調子が良かったわけじゃない。適当に投げてたら球が散らばっただけや。なにしろオレのボールの行き先は球に聞いてくれ、っていうやつやからな」。いつも通りのさばけた口調で虎退治を振り返った松本だが、これで阪神戦は早くもシーズン6勝目となった。

 その話を番記者からふられると、明朗快活な左腕は一瞬まじめな顔をしてみせた。「オレ、大阪出身やろ。あんまり阪神に勝ちすぎると、実家が近所からうるさく言われてしもうて…。周りは全部阪神ファンや。きょうも甲子園でシャットアウトしてしもうた。家族から肩身が狭くて町内も歩けんって文句を言われるんや」。

 本当に阪神には強かった。74年だけ見ても4月24日の1回戦(甲子園)で8回2失点で勝ち投手になると、1週間後の4回戦(中日)では3安打完封。5月17日の7回戦(甲子園)で9回1死から星野仙一投手の後を継いで、2番手で登板した際にはロバート・テーラー右翼手にサヨナラ本塁打を浴び負け投手になったが、翌18日の8回戦には先発で3安打完封とリベンジ。「この打線は4番の田淵(幸一捕手)だけ気をつけていれば、そんなに怖くない」と豪語し、阪神ナインから目の敵にされたが、それをあざ笑うように勝ち続けた。

 この年、松本は対阪神戦は9勝3敗。中日はタイガースに17勝9敗と大きく勝ち越したが、半分以上が松本の勝ち星だった。松本はトータルでも20勝をマーク。最多勝のタイトルとともに、巨人の10連覇を阻止する中日の20年ぶりリーグ優勝の立役者となった。

 同僚だった星野をして「性格も投球も変り種、つかみどころのないサウスポー。“早投げのマツ”は球界を代表するユニークな選手」と言わしめた投手だった。

 ニックネームの通り、投球間隔が極端に短く、当時の表現を借りれば「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」というスタイル。「オレは試合時間短縮にものすごく貢献している。連盟から表彰されてもいいはず」と自負していた。

 酒が三度のメシより大好きで、登板前夜には必ず一杯ひっかけるのが流儀。宵越しの金は持たないタイプで、給料の大半は酒代に消えたという豪快な左腕だった。

 球速はせいぜい130キロ台中盤。シンカーとスローカーブも投げたが、人がマネできない投球テンポと度胸で中日と阪急で通算98勝を挙げた。うち阪神戦では28勝。虎キラー・松本は、古くからのドラゴンズファンには忘れられない名前だ。

【2011/7/5 スポニチ】
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