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【7月7日】1998年(平10) 

 【阪神2―1横浜】世の中に“絶対”はあり得ないことを、プロ野球ファンは改めて感じた七夕の夜だった。

 横浜の守護神、佐々木主浩投手が阪神14回戦(大阪ドーム)で、東北福祉大の1年後輩で、バッテリーも組んでいた矢野輝弘捕手にセンターオーバーの逆転サヨナラ安打を打たれて、シーズン初の敗戦投手となった。4月26日のヤクルト2回戦(横浜)から始まった連続セーブ記録は背番号と同じ「22」でストップ。失点は前年97年8月14日の中日19回戦(静岡草薙)以来327日ぶり、黒星にいたっては、96年8月31日の広島22回戦(横浜)からなく、実に675日ぶりの屈辱だった。

 6月の月間MVPを受賞した際「防御率0・00がいい緊張感になっている。早く1点取られて楽になりたい気持ちもあるけれど、本音を言えば最後まで0点に抑えたい」と心境を口にしていたが、さすがに自分が打たれてチームが負けたとなると話は違う。「見ての通り。言うことはない」。顔を真っ赤にし、こわばった表情で報道陣を振り切るようにバスに乗り込んだ。

 サヨナラ負けとなったこの日の1年前、佐々木は父親を亡くした。命日にシーズン24個目のセーブをと思っていたが、まさかのサヨナラ逆転打を浴びた。後日冷静になった佐々木は言った。「早く点を取られて少し楽になれ、っていう父親のメッセージだったのかな」。

 翌8日。野球の神様は、同じような場面を用意した。大阪ドームでの横浜―阪神15回戦の9回裏、前日と同じ1―0と横浜リードの場面で、権藤博監督は迷わず佐々木を投入した。1死二塁と一打同点の場面で再度打席に矢野を迎えた。

 前日のサヨナラ打で対佐々木の成績は13打数5安打の打率3割8分5厘、5打点。大魔神に手を焼く打者が多い中で、この数字は出色だった。自信を持って振ったバットから三塁へ火の出るようなゴロが飛んだ。

 三遊間真っ二つ、と思った瞬間、進藤達哉三塁手が横っ飛びでキャッチ。矢のような送球で打者走者をアウトにした。「超が3つも4つも付くファインプレー。アイツじゃなかったら抜けていた」と、現役時代に名手としてならした山下大輔ヘッドコーチも絶賛したビッグプレー。実は進藤、2日の広島戦で左上腕部に死球を受け、その後あまりの痛みと腫れに夜も眠れず、登録抹消も検討された。しかし、勝負強い打撃と鉄壁の守備は欠くことのできない存在。ここぞの場面で使うつもりで権藤監督はベンチに置いていた。

 最終回に守備固めで登場し、それが見事に“的中”。「進藤サマサマ。めちゃくちゃ助かった!」と胸をなで下ろした佐々木。それまで緊張しているのがありありと分かった大魔神は息を吹き返し、最後の打者の代打デーブ・ハンセン内野手を三振に仕留め、ゲームセット。横浜は連敗を免れ、この後引き分けとオールスターを挟んで怒とうの10連勝。38年ぶりの優勝をグッと引き寄せた。

【2011/7/7 スポニチ】
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