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【6月10日】1971年(昭46) 

 【巨人9―3広島】試合終了後、巨人・王貞治一塁手が珍しく声を荒げた。「こんな気分の悪いゲームは生まれて初めてだ!」。

 広島7回戦(後楽園)で2本塁打を放ち、長嶋茂雄三塁手も本塁打を放ったことでアベックホーマーを記録。チームも大勝し、好調の2位広島とのゲーム差も4と広げた。にもかかわらず、王の機嫌はすこぶる悪かった。

 王が怒りをあらわにした原因は8回の攻撃だった。完投ペースの堀内恒夫投手が、広島・佐伯和司投手から左のほおに死球を受けた。6点差の終盤、打者が投手で内角に厳しいボールを投げるケースではないにもかかわらずインコース、それも顔付近へきた。幸い、唇を2カ所切っただけで大事にはいたらなかったが、堀内は大事をとって降板。完投勝利にはならず、堀内は「ちょっとムカムカする。次の広島戦ではやってやる」と口にカーゼを当てながら報復を口にした。

 広島ベンチの野次も普通ではなかった。「“当てろ”“狙え”という野次が混じっていた」と証言するジャイアンツナインは多く、堀内が当てられた時、よくケンカにならなかったというほど険悪なムードが漂っていた。

 実は試合前から巨人は死球にナーバスになっていた。巨人の広報担当者は試合前、記者席に「記録メモ」という独自の参考資料を提供していた。この10日はなんと死球特集。タイトルは「巨人軍打者が今季受けた死球」となっていた。

 それによると、5球団から計20死球を受けたとし、一方で巨人投手陣は6つしかぶつけていないと記されていた。巨人投手陣の制球の良さをほめたたえているものではなく、当てられた数の多さをアピールするものだった。

 「これだけ被害を受けているということを記者さんには再認識してもらいたかった。故障者を出す前に対策をと思って」と広報担当者。その矢先の堀内のデッドボール。王がカリカリするのも無理はなかった。

 堀内の死球はルーキー佐伯のコントロールミスという可能性が高いが、他球団による死球禍は巨人打線をいかに抑えるかのギリギリの勝負の結果だった。

 厳しいインコース攻めをしていかなければ、ONを中心とした巨人を抑えることはできない。あわよくば死球で出塁を許してもいい。そうまでしないと太刀打ちできないほど、他球団と巨人の実力差は開いていた。

 この年、巨人の受けた死球は計51個。王の怒り以降は減少傾向になった。逆に広島は69個とリーグ最多に。堀内の一件で“目には目を”という姿勢になった巨人投手陣の内角攻めはきつくなった。

 1週間後、広島市民球場で堀内は自己最少の86球で完封勝利。見事リベンジを果たした。報復発言を恐れたかのように広島の早打ちが目立った試合だった。

【2011/6/10 スポニチ】
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