close
【11月26日】1989年(平元) 



 「第1回希望選択選手 野茂英雄 21歳 投手 新日鉄堺」。ロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト…これで6球団連続。“パンチョ”こと伊東一雄パ・リーグ広報部長の独特の声色だけが、球団名を変えたのみで、録音テープのように赤坂プリンスホテルに流れた。この年のドラフトから採用されたテレビモニターには、さらにオリックス、近鉄を加え結局8球団の画面に「野茂英雄」の名前が指名選手として表示された。



 欲しいには欲しいが、どの球団もここまで競合すると“当たればラッキー”のノリ。ロッテの金田正一監督は「野茂の指名は祭りに加わっただけや。祭りには参加せんと面白くない」なんて、カネやんらしいコメントまで飛び出した。



 8枚のクジを各球団の代表が引き始めた。日本ハム・大沢啓二常務、阪神・中村勝広監督の表情は神妙そのもの。ダイエー・田淵幸一監督は何やら“たくらみ”があるのか、終始思わせぶりな笑顔。数々のドラ1競合で当たりクジを引いてきた“黄金の左腕”ヤクルト・相馬和夫球団社長は、やはり左手で封筒を取り上げた。最後は89年パ優勝の近鉄・仰木彬監督。正確にはクジを引いたのではなく、最後の1枚を取り上げただけだった。「当たらんだろうな」。仰木はそうつぶやきながら苦笑して封筒を握った。



 だから、仰木は封を切る気にはなれなかった。7球団の代表が中に入っている紙を見る。誰も手を挙げない。他人事のようにその光景を眺めていた仰木が今度は急いで開封した。



 「選択確定」のり4文字が飛び込んできた。日本シリーズは巨人に3連勝4連敗した近鉄だが、“残り物には福”のことわざ通り、ドラフト史上最多球団指名の“即エース”の交渉権獲得に成功した。12球団OKながら、強いていうならヤクルト、日本ハム、ダイエーが意中だった野茂は「8球団も指名してくれたことに恥じない選手になりたい」と入団に前向きなコメントをした。



 しかし、外れ1位も豊作の年だった。“野茂祭”参加賞のロッテは「最初から決めていた」(金田監督)という早大・小宮山悟投手を指名。続くは大洋。須藤豊新監督は野茂が近鉄に決まってから聞こえる、べえらんめえ調の声が気になっていた。「野茂が外れちまったんだからよお、ほらササキっていうの?あれで行こうや、あれで」。大沢親分の声は興奮していたのか、事の外大きかった。



 大洋の次が日本ハムだった。取られる前に取ってしまえ。大洋は椎間板ヘルニアの不安を抱え、プロ拒否の姿勢を示していた東北福祉大・佐々木主浩投手を指名した。須藤は言う。「佐々木は腰のこともあって他球団は指名してこないと思っていたから、別の投手を取って2位で指名しようと思っていた。大沢さんがヒソヒソ話をしていたら、“ハマの大魔神”は誕生しなかったね」。



 巨人を熱望していた上宮高・元木大介内野手はダイエーが外れ1位に強行指名。その巨人は慶大の大森剛内野手を選択した。この他、広島・佐々岡真司投手(NTT中国)、中日・与田剛投手(NTT東京)、オリックス・佐藤和弘外野手(パンチ佐藤、熊谷組)ら、個性溢れるドラ1が指名されたが、2位以下果てはドラフト外に至るまで多士済々。ヤクルト2位・古田敦也捕手(トヨタ自動車)、近鉄3位・石井浩郎内野手(プリンスホテル)、広島4位・前田智徳外野手(熊本工高)、阪神5位・新庄剛志内野手(西日本短付高)、中日6位・種田仁内野手(上宮高)、ヤクルトドラフト外・野口寿浩捕手(習志野高)…。比較的息の長い選手が多い。







【2007/11/26 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()