【7月26日】1993年(平4) 

 【阪神5―3ヤクルト】143キロのストレートを打ち返したヤクルト・飯田哲也中堅手の打球は、一直線に今投球したばかりの投手を直撃した。バットで弾き返された白球は、恐らく150キロは出ていたはず。利き腕の右腕も、グラブをはめている左腕も出したが、打球はなんと投手の急所に命中した。

 神宮球場のヤクルト―阪神13回戦、7回裏のことだった。阪神・郭李建夫投手は苦悶の表情を浮かべよろめいた。それでもさすがプロ野球選手。本能的に三塁側に転がった打球をつかみ、一塁へ送球。アウトにした。

 が、アウトになったことを確認するや否や、その場にうずくまり左肩から崩れ落ちた。顔面は蒼白、流れ落ちるのは真夏にもかかわらず冷たいあぶら汗。打った飯田も申し訳なさそうに、ベンチに戻りがてら心配そうに様子をうかがっていた。三塁側から阪神ナインが飛び出したが、事の重大さにすぐ気がつき、急ぎ担架が用意された。
 救急車まで出動し、球場近くの慶応大学病院に担ぎ込まれた。早速診断を受けた結果は「左睾丸(こうがん)打撲」。患部が内出血し、そのため腫れている状態だったが、症状は軽いと医師は判断した。
 
 症状を聞いた阪神・中村勝広監督は「場所が場所だけに心配」。上田次朗投手コーチは「腫れが引けば大丈夫ということなのでホッとした。(股間を守る)“キンカップ”はなるべく着用させるようにさせたいが、違和感があるという投手もいるから…」と複雑な表情を浮かべた。

 しかし、郭李のアソコはなかなか腫れと痛みが引かなかった。登録抹消せず、様子を見るはずだったが「睾丸破裂の可能性もある。精密検査を受ける必要がある」という診断に変わり、1軍からも外さざるを得なくなった。

 重症なら長期リタイアとなる。阪神の中継ぎ陣にとっていまや不可欠な存在になっていただけに、検査結果が注目されたが、8月2日に西宮市内の泌尿器科の病院でMRI(磁気共鳴装置)を使って局部を撮影したところ、異常はなかった。

 打球が当たってから郭李は、寮の自室にほぼ閉じこもり切りの状態。上半身のトレーニングは欠かさなかったが、氷のうで1日3時間程度患部を冷やしてきた。そのかいあって「痛みはまだあるが、腫れは引いてきた」と郭李。ほどなく1軍に復帰し、後半戦2勝をマーク。一時は5位に落ちた阪神をなんとか4位まで引き上げる立役者の一人となった。

【2011/7/26 スポニチ】
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