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【4月3日】1982年(昭57)

【大洋3-2阪神】開幕2安打完封スタート--そんな見出しが各新聞に躍るはずだった。計ったように9回裏から降り出した雨が手元を狂わせたのか、二死一、三塁で阪神・小林繁投手が大洋・高木嘉一左翼手に投じた3球目で試合は突然終わった。

 敬遠しようと外角へはずした球が暴投。三走・大久保弘司内野手が生還し、小林はシャットアウトどころか敗戦投手となってしまった。

 まさかのサヨナラ勝ちに半信半疑で喜ぶ大洋ナインの横をうつむいたままの背番号19が三塁側ベンチへ戻った。「雨で球がすべった?」「気が動転していた?」…。トラ番記者に何を聞かれても無言のまま。「緊張したの?」の問いかけに、泥を取り除くため履いていたスパイクをいらだちながら床にたたきつけた時、初めて言葉を発した。「そうかもしれない」。

 予感はあった。「巨人時代だったかな、前に小林がピッチャーゴロを一塁に大暴投したのを覚えている。軽く投げるスナップスローがあいつは苦手なんじゃないかな」とは、“敬遠暴投”の打席に立っていた高木嘉。小林は下手投げに近い、サイドハンド。いつも全力を振り絞って、思い切り腕を振って投げる。簡単そうに見えることが、阪神のエースにとってはとても難しいことだった。

 高木嘉への1球目は若菜嘉晴捕手がキャッチャーボックスから出ているにもかかわらず、低めに130キロの真っ直ぐがきた。慌てて座り捕球した若菜。2球目は大きく外したが、これも若菜がジャンプしてキャッチ。この2球で「小林が投げづらそうに上から投げていた。もしかしたらってよぎったね」と大洋・関根潤三監督。2回一死から小林の前に20人連続して打ち取られていた完全な負け試合を、最後に4安打を集め同点に追いつき、さらに“棚ボタ”のサヨナラで監督就任初勝利を飾った指揮官は苦笑していた。

 開幕戦と小林は本当に相性が悪い。初の開幕投手となった80年は広島戦で5本のソロ本塁打を浴び6回途中で降板。81年のヤクルト戦では初回、先頭打者の渡辺進二塁手の打球を左足に受け、痛みをおして6回途中まで投げたが8失点で敗戦投手。おまけに傷口が広がり、6針も縫う大けがで2週間戦列離脱した。

 そして3年連続のこの日は悪夢の敬遠暴投サヨナラ負け。翌83年も広島との開幕戦に先発したが、7回まで1失点もボビー・マルカーノ二塁手の3点本塁打の一撃で負け投手に。4年連続の栄誉を与えられながら0勝3敗。83年で引退した小林は通算139勝を挙げながら、記念に残るオ-プニングゲームでの白星に縁がなかったままユニホームを脱いだ。

 敬遠暴投でのサヨナラ負けはこの小林で実は2人目。52年(昭27)8月9日、札幌円山球場での巨人-国鉄(現ヤクルト)16回戦で国鉄の金田正一投手が延長13回に記録して以来30年ぶりの珍記録だった。

 金田は3回、小林は2回も投手としての栄誉である沢村賞を受賞している。珍記録を持っているのも大投手の“条件”かもしれない。


【2008/4/3 スポニチ】
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