【中日2―6巨人】引退セレモニーでチームメートや大勢のファンの温かい視線に見守られると、立浪の目は涙であふれた。セレモニーにはPL学園の先輩、桑田真澄氏、清原和博氏も駆けつけた。

 「最高の野球人生を送れた。これで、心置きなくバットを置くことができる」

 最後まで立浪らしかった。6番・一塁で今季初スタメン。レギュラーシーズン最後のナゴヤドームで絶妙のバットコントロールを披露した。鮮やかな3安打。第4打席では自身が持つ通算最多二塁打のプロ野球記録を487とし、通算安打は2480に伸ばして「最後の打席だと思ったので思い切っていった。塁上で“ツーベースに縁があったんだな”と思った」

 PL学園からドラフト1位で入団。1メートル73、70キロの体格ながら抜群のセンスで1年目から周囲の期待に応えた。遊撃から二塁、外野、三塁。チーム事情でポジションを移り、06年からは代打の切り札として存在感を示した。1軍の座を守り通した自身の22年間を「大した選手じゃなかったけど、ただ1つ負けん気だけは常に持ってやってきた」と振り返る。グラウンド入りする時は、必ず帽子を取って深々と一礼。体調管理、道具の手入れに人一倍気を使い、野球ができることへの感謝を片時も忘れなかった。打席での驚異的な集中力を生み出すのは、ケタ違いの責任感の強さだった。

 ナインの手で背番号と同じ3度宙に舞った立浪はCSで、なくてはならない代打の切り札となる。「きょうが終わったらCSモードに切り替える。最後までやるのがことしの目標」。22年に及んだプロ人生の最終章を、日本一で飾るつもりだ。


 【立浪引退】▼阪神星野仙一SD(立浪が入団時の中日監督)あの体でよくここまで頑張ったし、チームを引っ張ったと思う。まだまだしぶとい打撃は捨てがたいし、すぱっとユニホームを脱ぐのは勇気がいるもの。近い将来、いい指導者になって、野球界に戻ってくることを強く望んでいる。

 ▼清原和博氏(PL学園の2年先輩)彼が入学してきて初めてスイングを見た時に「ただ者ではない」と思った。この20年以上、高校を卒業してすぐレギュラーを張ったのは私と立浪だけだろう。ここ何年間は常時試合に出られないという心の痛みに耐えてよくやったと思う。

 ▼桑田真澄氏(野球評論家。PL学園の2年先輩)3年生の時に同部屋でしたが、最初からプロ野球選手になるオーラがありました。プロでの対戦では、やはり(94年に巨人と中日が同率首位で最終戦を戦った)「10・8」。あの死闘をお互いに主力として戦い抜いたことが印象的です。

 ▼片岡篤史氏(本紙評論家、PL学園同期)同級生の野球人生が終わると思うと、こみ上げるものがある。「絶対負けへん」と弱音を吐かない強い姿勢でプロ22年間、故障以外では一度も2軍に落ちなかった。阪神1年目に全く活躍できず「野球をやめよう」と思った時期も、彼がいてくれたから頑張れた。めったに見せない涙で送ってくれた引退試合も忘れられない。あと残り数試合のユニホーム。日本シリーズ第7戦まで進んでもらって、雄姿を目に焼き付けたい。

 ▼ヤクルト宮本(PL学園の後輩)高校のときから目標にしてきたし、中日というよりプロ野球界を代表する名選手。公私ともどもお世話になっていて言葉で言い表せない。僕らも何とかCSに出場して中日と戦いたい。

 ▼中村順司氏(PL学園時代の恩師。現名商大監督)3本ヒットを打って、最後は二塁打で終わったというのが立派だった。大声援を聞いてタツはこんなに応援されていたんだとあらためて感じた。

 ▼巨人原監督 20数年前、最初に見たときの“はつらつ”というイメージで、年齢を感じさせないものがあった。試合直後の抱擁?本当にご苦労さま。ありがとうございましたと言いました。


【2009/10/1 スポニチ】
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