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【10月6日】2007年(平19) 

 【広島10―1横浜】四球になる…。そう思った瞬間、オーバーなフルスイングで空振りをしようとした。が、思いとは裏腹に、バットの芯をくった打球は左中間スタンド上段まで飛んでいった。

 「ホームランを打ってこんなにつらいのは人生初めて」。横浜・村田修一三塁手はうつむきながらベースを1周した。ざわつく2万9776人の観客。「空気読めよ!」。そんなヤジがライトスタンドの広島ファンから飛んだ。三塁を回ったとき、マウンドをならす背番号18の背中が目に入ると、“男・村田”の両目から思わず涙があふれてきた。

 10点差が開き試合はもう決まっていた。広島市民球場での最終戦は、18年間カープ一筋で投げ続けてきた、佐々岡真司投手の引退試合。9回2死。最後の花道を飾るべく登板。村田が引き立て役をすべく打席に入った。

 対戦相手1人だけの引退試合には球界ならではの“お約束”があった。最後は空振り三振で送り出す。それがこの世界の暗黙の了解だった。村田もそのつもりだった。しかし、カウントが1―3になると、村田は試合前、広島サイドから伝えられていた言葉を思い出していた。「佐々岡は真剣勝負をする。気持ちよくフルスイングで送り出してほしい」。

 5球目は真ん中高め、137キロのストレート。見逃せばボールになったかもしれない球だった。空振りするつもりで出したバットにボールは衝突。フルスイングした証拠に村田はその勢いで右ひざが地面につくほどだった。

 村田の本塁打の後、鈴木尚典外野手は“お約束”通り三振したが、打者1人の引退登板で本塁打を浴びた投手はおそらく佐々岡だけだろう。

 試合後のセレモニー。球場内を一周する佐々岡が三塁ベンチ付近に歩を進めたとき、待っていた背番号25が泣きながら近づいてきた。「申し訳ありません」。許しを請うように佐々岡の目を見つめながら謝る村田に、右腕は静かに言った。「これは真剣勝負。打ってくれて吹っ切れたし、悔いはないよ」。

 口だけではなかった。最後は直球ばかりを投げるのが、引退試合の定番だが、佐々岡は村田にカーブも投げている。佐々岡にとって最後の登板はセレモニーではなく、己の力がまだ通用するのか、それとも通用しなくなったのか、自ら見極める場だった。

 そして打たれた。これで引退。佐々岡にとって現役生活への未練を断ち切る一発だった。

 実は村田、これがシーズン36号本塁打で、35本で並んでいた中日タイロン・ウッズ一塁手、巨人・高橋由伸外野手を一歩リードする貴重なアーチだった。結局、これが本塁打王を決めた一撃となり、初タイトルを獲得した。後日、佐々岡と偶然会った村田はこう言葉をかけられた。「タイトルを獲ってもらってよかった」。

 初の本塁打キングとなった村田は2年連続タイトルキープ。北京五輪、WBCメンバーに選ばれ、日の丸を背負って4番を張った。遠くへ飛ばすが粗削りだった打者の飛躍へのきっかけになる一発だった。


【2010/10/6 スポニチ】
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