偶然看到了GG佐藤半年前的訪問,看完之後相當感嘆

GG佐藤就是日本人最不想提起的北京奧運的惡夢,
日本首次以純職棒選手的隊伍,一副勢在必得的感覺,
沒想到開打後,卻是個讓人失望的連續

星野仙一監督在賽前記者會上以強硬的口氣說:「我只要金牌」,
甚至補上一句:「銀牌和銅牌都不要」,
如此強烈的必勝決心,最後卻真的一語成讖,
一個獎牌都沒拿到,以第四名收場

當時透過了星野監督,讓我知道了一個道理:
「人不要把話說得太滿,會成真的」

星野監督是阪神隊的恩人,讓我們嚐到了睽違十八年的冠軍滋味,
但在總冠軍賽,他執意用伊良部秀輝先發,
讓原本在阪神這方的氣勢,轉到對手那邊去,
當年沒能拿下總冠軍,是虎迷們一輩子的遺憾

北京奧運時,星野監督也是一堆莫名其妙的調度,
這個部份當時的網誌紀錄的很詳細,就不再贅述

說GG佐藤是北京奧運的最大戰犯,絕對不為過,
他在最後兩場比賽,都漏接了高飛必死球,
讓日本隊兵敗如山倒地輸了那兩場比賽,輸掉所有得牌機會

後來回到日本,GG佐藤沒能從北京奧運的失敗走出,
沒有再活躍起來,2014年就離開日本職棒了

如果沒有北京奧運,如果沒有那兩場比賽,
也許他會是日本職棒留名青史的強打者,
但現在他的存在就是當大家要回顧北京奧運時,
一定會提到的一個笑話人物

引退後,主要是在爸爸的公司當業務,
GG佐藤利用自己的知名度,到處演講和接電視通告,
當然就必須去面對那一次又一次的「漏接」重播

GG佐藤說:「我自己沒有主動想去看過,但總是一再地被人重播」

這就是人生,一輩子有再多的美好都沒用,
都敵不過一個一輩子最大的失誤和醜聞

韓國戰的兩次失誤,固然讓他懊悔,
但更讓他懊悔的是銅牌戰

他以為星野監督不會再派他上場了,
所以心裡完全沉浸失誤的懊悔中,
當他看到自己居然是先發,整個慌了,
因為他完全沒有準備

一個失去自信的人,要如何盡全力呢?
當然上場後,GG佐藤根本就無法發揮,
然後更悲劇的就是~又再度地犯下了致命的錯誤

如果這是在激進的國家,搞不好GG會被暗殺掉,
他犯的錯誤,在當時就是這麼嚴重的錯誤

GG佐藤說:「去年看里約奧運時,我確認了我的想法,
那就是當年在北京,不管前一場比賽結果如何,
都應該盡全力去爭取銅牌,而不是在那裏自怨自艾」

看了這篇報導,我有兩個想法:

一個是人真的要想辦法活在今天的框架中,
就像訪問最後提到的一樣,如果GG佐藤先把懊悔收起,
先去考慮眼前的銅牌戰,也許結果會不一樣

當然這並不容易,畢竟他犯的錯誤太嚴重,
輸掉了大家要的金牌,讓日本棒球的水準受到質疑,
這些都不是可以立刻忘記的

但是身為職棒選手,GG佐藤必須要做到才行,
可惜他沒有做到,讓這個傷口越扯越大,變成一輩子的痛

如果他可以振作起來,在銅牌戰打顯身手,
也許大家會把他的故事,講得比較美好一點

這也是為什麼星野監督會起用他先發的原因,
希望他振作起來,為自己扳回一城

這就跟我要提的第二點有關了

很明顯地,星野監督並沒有掌握好GG的狀況,
他如果知道GG完全沒準備上場,就不會要他先發

星野監督當年對伊良部的信賴,卻沒有看到他狀況不好,
而且對手已經完全掌握住伊良部的攻略法了,
派他上場根本就是正中下懷的愚策

北京這次也是,要派GG可以,
但要跟他說清楚,就是要用他的決心,
讓他知道自己沒時間再懊悔下去

或是要派上場前,可以觀察GG的狀況吧!
不是一昧地覺得選手會想要扳回一城,
要看清楚狀況啊!!!

這樣看來,星野監督拿不到獎牌並不冤枉,
他沒有選手好好溝通,沒有觀察選手當時的狀況,
看起來跟教練團也沒有好好溝通吧!
不然怎麼會派GG上場呢?!

過了快十年了,突然參透了這件事就是人生的道理,
GG佐藤必須一輩子背負著這個悲劇和笑話,
這就是他的人生

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【野球】国際大会で落球したGG佐藤氏、野球人生で唯一の後悔は…


 WBCに日本列島が熱狂する中、“最年長侍”青木(アストロズ)に思いを託す男がいた。西武、ロッテなどでプレーしたGG佐藤(本名・佐藤隆彦)氏(38)。それは9年前の、あのプレーが脳裏から離れないからだ。
 2014年オフにロッテを退団、同年限りで現役引退した佐藤氏は、現在、父・克彦さんが社長を務める測量会社「トラバース」(本社・千葉県市川市)に就職。東京営業所(水道橋)で営業マネジャーとして約50人の従業員を束ねている。
 朝9時から夕方6時まで、社内業務をこなすうえ、作業着に着替え建設現場に足を運ぶ毎日。測量士補、2級土木施工管理技術の資格も取得した。「父がつくって残してくれた会社を守っていきたい」と、1人の営業マンとして、第二の人生を確かな足取りで歩んでいる。
 一方、多忙な仕事の合間を縫って、講演やテレビ出演も精力的にこなす。WBCを前にして、イベントなどで引っ張りだこ。殺到する理由は、やはり、あのプレーに凝縮される。11年間のプロ人生で思い出されるのは、08年の北京五輪。準決勝・韓国戦で2度の落球……。いずれも痛恨の適時失策となり、結果的に金メダルを逃したことは、苦い記憶として残っている。だが、佐藤氏はあえて、発信しようとしている。
 既に過去の記憶として心の整理がついていると思いきや、そうではない。「いまだに悔しいです。もしもう1回やり返せるならやり返したいですよ、今でも。出演した番組などで当時のVTRを見なきゃいけないことはありますけど、自ら再生ボタンを押すことはないですね。今も傷は癒えていない。何回映像見ても落とすじゃないですか。そりゃ今から捕れるわけないけど。何回も落としているの見ると、本当、悔しいですよね」。
 これまでの人生で味わったことのない緊張感と重圧。「極限状態だったと思いますよ。本当に。1個エラーしたあと、恐怖しかなかったですし。『飛んでくるな、飛んでくるな』と心から思っていた。ああいう心理状況になったこと、今までないです」。失った平常心。動揺。日本中から期待された金メダルを逃し、戦犯の目が向けられることで、「もう逃げてしまいたかった」。だが、佐藤氏が最も悔いているのは、エラーではない。
 3位決定戦の米国戦で、名誉挽回の奮起に期待した星野仙一監督は、佐藤氏を再びスタメン起用した。だが、「やめてくれと心の中では思いました。2つエラーした時点で、もう気持ちが切れてしまっていた。もう使われることはないと思って決めつけてしまって、何も準備していなかったんです。金メダルしかいらないと思って乗り込んだのに、自分のエラーのせいでそれが途絶えて、もう終わったと思ってしまった。スタメンと聞いて、そこから慌てて準備しても、うまくいくわけがなかった」。前日に犯したミスの大きさから失意のどん底にあった佐藤氏は、もはや「次」が考えられなかった。ショックと動揺を引きずったまま臨んだ米国戦で、再び落球。またも適時失策を犯してしまう。
 佐藤氏は言った。「去年、リオ五輪を見ていて、改めて強く思ったんです。あのとき、金を逃しても、銅メダルでもいいから取りに行くべきだった。どんなに落ち込んでいても、気持ちを切り替えてしっかり準備すべきだった-。これが、野球人生での唯一の後悔です」。プロとして、野球人として、ベストを尽くせなかったことが、今も胸に引っかかっている。
 日の丸の重みを嫌と言うほど味わった男。「自分がミスをしたことで、反面教師というか、小久保監督も守備の使い方とか多少気を遣うこともあるかもしれない。そういう意味では、ああいうことも起こり得るというひとつの出来事として、後世に伝える、じゃないですけど、自分はそういう役割なのかなと思ったりします」。2月末に行われた侍ジャパンの宮崎合宿では、トークショーにゲスト出演。キューバ戦が行われた7日、オーストラリア戦が行われた8日には、都内でWBC応援イベントに参加し、野球ファンとともに盛り上がった。
 9年前、ともに北京五輪でプレーした青木は、今も日本代表として世界の頂点へと挑んでいる。佐藤氏は神妙に話した。「あのとき一緒に戦った仲間が、唯一残っている。青木が金メダルを取ってきてくれれば、僕の傷も癒えるような気がする」。そして、日の丸戦士たちに向け、心の底から願った。「最高の準備をしてほしい。ベストの準備、ベストの気持ちで、ベストを尽くして欲しい」-。(2017.3.11デイリースポーツ・福岡香奈)
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