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【5月25日】1994年(平6) 

【巨人8-5阪神】08年5月25日現在、プロ野球で1500本以上の安打を放った選手は計94人。1739安打を記録し53位の阪神・和田豊内野手の通算本塁打数は29本で最少だ。205打席に1本程度のペースで、公式戦において和田の本塁打を見たという野球ファンはかなり貴重な存在だ。

 その和田が1930打席ぶりに本塁打を打ったのが、この日の巨人8回戦(甲子園)。3回、二死二塁で1番の和田は巨人先発・香田勲投手の内角直球をコンパクトに振り抜いた。打球はフラフラっと舞い上がりながら、井上真二左翼手のわずか1メートル先のスタンド最前列に落ちた。

 二塁ベースを踏んで、なぜか和田は止まっていた。「レフトオーバーにはなるとは思ったけど、入るとは本当に思っていなかった」と和田。福井宏三塁塁審がが左腕をグルグル回す姿を見て、初めて本塁打と確信。ゆっくりと三塁へ向かった。「久しぶりのホームランなんで、嬉しいというより何か恥ずかしかった。いやあ、ベース1周の仕方忘れちゃったよ」。

 最後に本塁打を放ったのはいつだったか。本人も忘れていた。記録をひも解くと、90年10月3日、神宮でのヤクルト26回戦でランニングホームランを放って以来。スタンドインはそれより2カ月以上前の7月13日、大洋13回戦(甲子園)で野村弘樹投手から打ったところまでさかのぼらなければならなかった。

 タイガースの栄光も屈辱も知り尽くした男だ。1984年ドラフト3位で日大から入団。大学で教職課程を修了し、高校の体育教師になって自身も1度土を踏んだ甲子園を目指すはずだった。運命を変えたのは、ロサンゼルス五輪。当時はアマで構成されていた、野球日本代表のメンバーに選出され、教員採用試験が受けられなくなった。

 この年、大学球界の遊撃手は慶大の上田和明(巨人1位)と和田の2人が双璧だったが、阪神は名手といわれた「平田(勝男遊撃手)より守備は上」と、和田を3位指名。思わぬ形で甲子園で野球をすることになった。契約金から15万円を出し、日大野球部に赤の公衆電話を寄付したのは有名な話だ。

 入団2年目に阪神は21年ぶりの優勝。出場わずか39試合ながらも、和田は10月16日の神宮での優勝決定の瞬間、ショートを守っており、歴史的瞬間に立ち会った。9回に代打で出場し、そのまま守備についた幸運なものだった。

 が、現役選手として栄光はこの1回のみ。92年に最終戦までヤクルトと優勝争いをしたもののV逸。「もう1度、選手として優勝したい」と引退、コーチ就任を何度も打診されたが拒み続けた。星野監督が就任した02年についに引退。翌年阪神は18年ぶりの優勝を飾り、打撃コーチの和田は別の立場で優勝を久しぶりに味わった。

 97年、開幕戦から24試合連続安打の日本新記録を達成。98年の横浜との開幕戦では川村丈夫投手から初回、先頭打者でヒットを放ち、この後無安打だったチームは和田の“スミ1安打”で開幕ノーヒットノーランという史上初の大記録から救ったこともあった。

 今ではタイガースファンですら、そういう時があったことを忘れがちな“ダメ虎”を懸命に支えた1人として記憶にとどめておきたい選手だ。

【2008/5/25 スポニチ】
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