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【1月28日】1988年(昭63) 

 「参ったよ。ホント、あいつの守備はうまい。プロで何年もメシ食っているみたいだ。まだ、言われてないけど、俺に二塁へ行けと言うなら行くよ。やあ、参った」。12年目のベテラン、中日・宇野勝遊撃手が新人選手に舌を巻いた。

 宇野を絶賛させた、87年のドラフト1位・立浪和義内野手(PL学園)は沖縄キャンプの内外野の連係プレーの練習で、ショートに入り“元住人”を二塁に追い出した。棲家を奪われて悔しいはずの宇野が多少のリップサービスがあったとはいえ、完敗を認めたのだからチームに与えたインパクトは大きかった。

 グラブさばき、身のこなし、どれを取っても無駄がない。18歳にしてプロの1軍レベルに達した内野手だった。87年に二塁で108試合に出場した、仁村徹(弟)内野手が右ひざを痛め、開幕に間に合いそうもなく、その穴埋め的存在として立浪が注目されていたが、二塁に回ったのはショートのレギュラーだった宇野。ある程度やってくれると予想はしていたが、高校出のルーキーが内野のポジションを1年目で奪うほどの実力者だったことにグラウンドへ厳しい視線を送っていた星野仙一監督も口元だけはほころんだ。「あの野球センスは並じゃない。使いたいね、最初から」。

 地元ナゴヤ球場での大洋との開幕戦まで、まだ2カ月以上あるにもかかわらず、指揮官はルーキーのスタメン起用を決めた。「僕はただ一生懸命やっているだけ。開幕スタメン?あり得ませんよ。レベル違いすぎます。絶対にない」と謙遜した立浪たが、キャンプ、オープン戦が終わり、いよいよ開幕となっても星野監督の意志は変わらなかった。

 4月8日の開幕戦。「2番・遊撃」い立浪の名前はあった。“降参”した宇野は「5番・二塁」で出場。高卒新人選手の開幕スタメンは66年の近鉄・飯田幸夫遊撃手以来、22年ぶり。中日球団史上初の快挙だった。

 驚きはさらに続く。6回、第3打席を迎えた立浪は大洋・欠端光則投手から右越え二塁打を放った。高卒新人選手の開幕戦プロ初安打は、60年の近鉄・矢ノ浦国満遊撃手以来28年ぶり。あの“怪童”中西太内野手(西鉄)と並び、史上3人目。セでは初めての輝かしいデビューとなった。

 試合は1-2で敗れたが、立浪の口ぶりはベテランのように落ち着き払ったものだった。「開幕スタメンといっても別に緊張はなかった。打った球はフォーク。狙って打った。バットの先だったけど、うまく拾えた。母親が見に来ていたので1本打ててよかった。ゴロ(2本)はイージーなものばかりなんで、あんまりすごさを感じなかった」。

 毎日(現ロッテ)の榎本喜八一塁手以来、33年ぶりの高卒新人オールスタースタメン出場を果たし、中日の6年ぶりリーグ優勝にも貢献。打率2割2分3厘ながら、110試合に出場して、初の高卒新人ゴールデングラブ賞を受賞すれば新人王は当たり前で、もう驚くことではなかった。

 ドラフト前、第1志望は巨人だった。中日は大洋と並んで第2志望だったが、入団から09年で22年のドラゴンズ一筋のプロ人生となった。「あと1年悔いのないように、最後の力を振り絞ってやる」。08年12月の契約更改終了後、“ミスタードラゴンズ”は現役生活のクライマックスを迎えつつあることを自ら口にした。

 通算2509試合出場、2459安打、1020打点はすべて球団歴代1位、背番号3は西沢道夫一塁手の「15」、服部受弘捕手(投手)の「10」とともに永久欠番になる可能性もある。腰、膝はとうに限界を過ぎているが、下半身を強化して“ラストイヤー”に臨む覚悟を決めた。10年も現役続行を願いつつ、09年はその勇姿をしっかり目に焼き付けておきたい。

【2009/1/28 スポニチ】
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