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【1月28日】1994年(平6) 


 2010年、オリックスは前阪神監督の岡田彰布を新指揮官に招へいし、14年間遠ざかっている優勝を目指すことになった。頭のてっぺんから足の先まで、タイガース色に染まっているイメージの強い岡田だが、オリックスは恩人であり、そして再スタートを切った思い出深いチームだ。

 阪神から戦力外通告されてから100日目のこの日、岡田のオリックス入りが決定。翌29日に発表されることになった。キャンプまであと4日。ギリギリの飛び込み入団だった。

 93年暮れから94年の年明け。阪神を自由契約になった上、女性問題に総会屋が絡む恐喝事件に巻き込まれた岡田は、野球生命は断たれようとしていた。岡田をもう一度グラウンドに立たせたいと思っていたのは、古巣ではなく同じ在阪球団のオリックスだった。「あれだけ実績を残したプレーヤーや。しかもまだ選手としてイケる。このままユニホーム脱がせたらいかん」と仰木彬監督。岡田獲得を最初に名乗りを上げた。

 ネックになったのは週刊誌で報じられた私生活のトラブル。伝えられた内容からは岡田側に非があると取られても仕方のないもので、一時はオリックス側も獲得を断念した。しかし、岡田の技術と経験を買っていたオリックス側はあきらめず、何とかならないかと独自ルートで調査。オリックスの本業はリース会社。そのへんのノウハウはしっかりしていた。

 すると、話は女性側の作り話であることが判明。恐喝絡みということで捜査に乗り出していた大阪府警も調べていくうちに岡田が被害者という見方が強まった。こうなると一度流れた話が再び息を吹き返した。

 先の全く見えない中で、岡田はトレーニングを続けていた。年が明けると阪神の施設も使えなくなり、1人で大阪城公園のグラウンドでひたすら走った。キャッチボールの相手も、ティーバッティングのボールを上げてくれる相手も満足にいない中、いつお呼びがかかってもいいように黙々と体をつくった。

 そして入団発表。「昨年から私事で本当にいろいろと、ご迷惑をおかけしました。この4カ月ほどは自分でも考えられないようなことが次々と起こって…。そしていま、オリックスさんに野球だけに打ち込めるという状況にしていただいた…。これからは…、これからは野球一筋で行きたいと思います」。

 時々言葉に詰まり、唇が震えた。みるみるうちに目が真っ赤になり、感極まりそうになるとグッとこらえた。生命と同等の野球を取り上げられる寸前までいった男にしか分からない感情だった。そんな岡田にオリックスがプレゼントしたのは背番号10。阪神に入る前、早大野球部の主将だった岡田が1年間付けていたプロ入り前の原点とも言える番号だった。

 岡田はオリックスで2年間プレー。計35安打2本塁打14打点と数字的にはそう貢献したとは言えなかったが、95年チームはオリックスとなって初優勝。岡田は若いチームの精神的支柱となった。引退後はオリックスで2軍助監督兼打撃コーチを務め、指導者の道を歩み始めた。

 オリックスから阪神へ戻って13年。そして再度オリックスへ。岡田新監督は就任会見でこう言った。「現役最後の2年と指導者としてのスタートをオリックスで切らせてもらった。恩返ししたい」。この10年、ほとんど1年でボスがコロコロ代わったチームで、岡田政権が根付くのか。力量が問われる。


【2010/1/28 スポニチ】

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