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【2月11日】1979年(昭54) 


 高知・安芸での阪神のスプリングキャンプ。日程的に半ばの第3クールに入った祝日。朝から安芸市営球場につながる国道55号線は3キロ以上の渋滞が発生した。

 球場に集まったファンは、午前中の段階で1万人超。69年(昭44)に法大から鳴り物入りで阪神入りした田淵幸一捕手初のオープン戦となった阪急戦に4000人集まったのがキャンプでの最高人数だったが、その2・5倍も駆けつけた。前年最下位の阪神にこれだけの集客と期待をもたらしたのは、巨人から移籍した“悲劇のエース”背番号19、小林繁投手だった。

 あの江川卓投手とのトレードから11日。気持ちを整理した男が初めてタテジマのユニホームに袖を通し、キャンプに合流した。「凄い人の数だなあ。僕を見に来た?掛布君と江本君でしょ。でもうれしいね」と小林。6日から5日間、甲子園を借りて自主トレ済み。いきなりブルペンに入った小林は入念にマウンドをならした後、新人の渡辺長助捕手に向かって第1球を投げた。

 外角低めいっぱいに決まるストライク。集まった虎党からはどよめきと拍手が、新任のドン・ブレイザー監督と藤江清志投手コーチからは笑みがこぼれた。渡辺相手に直球を30球近く投げ込むと、今度は正妻の若菜嘉晴捕手に代わった。小林は若菜と言葉をかわすと、投げる際にサインをうかがう姿勢をとった。若菜がサインを出す。右打者から見て外角に大きく曲がるスライダーが快音とともに若菜のミットに収まった。

 その後も1球々々入念にサインを交換して投げた。「これからメーングラウンドで紅白戦が始まります」という放送にもファンのほとんどがブルペンから動こうとしない。帽子を飛ばしながら投げ続ける痩身の投手の鬼気迫る投球に、いつのまにか観客までも引き込まれた。ブルペンはミットに白球が収まる小気味良い音と、若菜の発する「ナイスボール!」のかけ声だけになった。

 早くも実戦を想定しての練習にはワケがあった。小林の頭にあったのは、4月10日。甲子園でのチーム開幕戦となる巨人1回戦の先発登板だった。「できれば、この日を今季最初のマウンドにしたい」と先発を志願。ブレイザー監督はこれを了承した。

 全65球を投げ終わった。小林の表情は充実感に満ちてはいなかった。「はっきり言って不満だらけ。スライダーはいいとしても、カーブが抜けてばかり。スタミナもまだまだ。ブルペンで150球くらい投げられるようになってから紅白戦で投げたい」。自身辛口の採点は、初めて敵となる巨人を意識したからこそ。王貞治一塁手や張本勲外野手の凄さを知っている小林にとって、完璧に仕上げなければならないという思いが、厳しい自己評価につながった。

 「本人は不満?とんでもない。凄かった。これがプロの、一流のボールだよ。気持ちが入っていた。今年の小林さんはやりますよ。隣の江本さんも顔つき変わっていました」と若菜。小林が高知入りした10日、歓迎のしゃぶしゃぶパーティーの音頭をとった江本孟紀投手だったが、友好ムードから一気に“戦闘モード”に切り替わった。「刺激されたよ。気合い入ったね」。阪神ブルペンにスイッチが入った。

 あれから30年が過ぎた。小林と宿舎で同室だった真弓明信内野手は阪神の監督2年目を迎えたが、元背番号19の元気な姿はこの世にはもうない。1月17日、58歳で永眠。日本ハム1軍投手として手腕を振るうことなく亡くなった無念はもとより、“細腕繁盛記”と呼ばれた気迫満点の投球スタイルを後世に継承することなく世を去ったのは残念でならない。


【2010/2/11 スポニチ】

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