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【11月25日】2002年(平14) 

 「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」という“名言”を発して、FA宣言した近鉄・中村紀洋内野手。最初に手を挙げた巨人と2回目の交渉のテーブルに着いたが、簡単に決裂した。巨人側が「11月中に結論を」とせかせたのに対し、中村は「メジャーのオファーを待ちたい。結論は12月中旬になる」と主張したことで接点を見いだせなかったのが表面的な理由だった。

 初めから破談のにおいがした“縁談”だった。主砲・松井秀喜外野手のメジャー行きが決まり、4番の補強が必要となった巨人。FA戦線に参戦し、中村獲得に動くと、巨人・渡辺恒雄オーナーは中村の金髪、モヒカンのヘアスタイルについて「巨人に入る条件は髪の毛を黒くすること」と注文を付けた。その後、渡辺オーナーは黒髪発言を忘れたかのように「金髪?瑣末(さまつ)なことだ」と、独特のスタイルを黙認。大リーグが第1志望ながら、1回目の交渉で4年契約総額30億円を提示した巨人は中村獲得を真剣に考えていた。

 しかし、事態はガラリと変わった。巨人はヤクルトを退団したロベルト・ペタジーニ外野手の獲得に成功。来日して4年間、毎年打率3割以上、35本塁打以上の数字を残した助っ人の入団で、中村“ブランド”は急落。ペタジーニ獲得後、渡辺オーナーは再度翻って「巨人には巨人のカラーがある。土下座してまで来てもらわなくていい」と厳しい態度に。2回目の交渉が決裂すると、「前からモヒカン、金髪はいらないと言っているだろ。現場、フロントが欲しがったから俺は黙っていたんだ。本音を言えば、ああいうタイプの人間はいらん。いなくても勝つ!」と、もう渡辺オーナーの口に誰もチャックをすることはできなかった。

 「僕のスタイルは崩せない」。45分の交渉で決裂した中村も怒りを抑えながら口を開いた。交渉の席上、巨人・土井誠球団代表からはオーナーの「土下座してまで…」発言に対する謝罪はなし。さらに土井代表は中村にこう言った。「阪神が強くないと、セ・リーグは面白くない。メジャーに行かないで、、是非セで野球をやってほしい」。巨人の関係者から阪神入りを勧められるという屈辱に中村は我慢の限界を超えて席を立った。

 その阪神も星野仙一監督を迎えながら02年は失速して4位になったことで、FA補強に乗り出していた。ターゲットは4番打者。中村、ペタジーニとともに広島・金本知憲外野手がその候補だった。中村にも興味を抱いていた星野監督だが、盟友の田淵幸一チーフ打撃コーチに「誰が欲しいんや」とストレートに問うと、田淵コーチは「金本。打つだけでなく、チームの精神的な柱になれる」と断言。金本自身もタイガース入りを希望しており、話は早かった。12月まで交渉は続いてはいたが、子どもの頃阪神ファンだった中村のタイガース入団はこの星野-田淵会談で事実上流れたといえる。

 結局、ノリはもとの鞘(さや)に納まった。一時はニューヨーク・メッツとの交渉で入団が確定的となったが、大リーグ公式サイトが本人の意志とは関係なく700万ドル(約8億4700万円、当時)で合意間近と伝えたため、中村は不信感を募らせ、近鉄・梨田昌孝監督と深夜の会談の末、残留を決定した。

 05年に渡米し、ドジャース入りしたものの、満足な成績を残せず帰国。オリックスで2年間プレーした後、07年にはけがを公傷にするかどうかでもめたことで、年俸交渉が決裂。今度は自由契約になった。育成選手として中日に拾われ、日本シリーズでMVPに輝いたかと思えば、08年オフはドラゴンズからFA移籍する考えを表明した。02年以来、落ち着いたオフを過ごせたのは数えるほど。09年は仙台でプロ17年目のシーズンを迎えるのだろうか。

【2008/11/25 スポニチ】
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