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【8月27日】1990年(平2) 

 【ヤクルト8-1阪神】試合を終えた阪神の背番号45は、前年までチームメイトだった三塁側のヤクルトナインに向かって大きく手を振った。「グッバイ…」。

 完投で9勝目を挙げたヤクルト・川崎憲次郎投手がやや涙ぐんで言った。「ヒットで一塁に出た時に聞いたんだ。“ヒザ、痛いの?”って。笑っているだけで答えなかったけど、すぐに“カワサキ、ガンバッテ”って言われた。涙が出そうになっちゃって…」。

 古巣の選手まで寂しがるほど、好かれた阪神のラリー・パリッシュ一塁手は、甲子園での阪神-ヤクルト21回戦を最後に退団。19年の大リーグ、日本プロ野球での選手生活にピリオドを打つことを決断した。28本塁打で2位の中日・落合博満内野手に3本差をつけ2年連続本塁打王も夢ではない位置にいながら、タイトル獲得のチャンスを放棄し、23試合を残してまで退団を急ぐ必要がどこにあったのだろうか?

 「メジャー時代に痛めた左ヒザが痛くて仕方がない。走れないし、折り曲げることも苦しい」とパリッシュ。シーズン終了を待たずにユニホームを脱ぐのは「今僕が去ることで、若手選手を起用できる。悔いは残るがそれがチームのため」と説明した。

 最下位が決定的な阪神は、来季を見据えて若手への切り替えで戦う時期に来ていたことは確かだった。しかし、パリッシュは「今年はシーズン終了までやる」と関係者には話しており、本塁打王を花道として退団すると思われていた。突然の退団には球団内部の声にパリッシュが敏感に反応したとの見方もある。

 ヤクルト戦の試合当日、パリッシユは球団フロントの一部に「来年いない選手を使う必要はない」という声があることを関係者から聞かされた。それならオレがこのチームにとどまる理由はないと考え、急きょ家族を甲子園に呼び、突然の“引退試合”となった。

 球団が引導を渡したような“引退試合”は3番・一塁でスタメン出場。初回、川崎から中前打を放った。日米通算2016本目の安打だった。2、3打席目は中飛。そして迎えた9回の最終打席。打席に入ったパリッシュだが、一度ボックスから出た。

 目頭を押さえ、あふれ出てくるものを堪えていた。川崎の初球は甘い真っ直ぐ。力んでしまった。打球は三塁へのファウルフライ。長嶋一茂三塁手のグラブに白球は収まった。この日限りということを知らないファンはただため息をつくばかり。ベンチに下がる1メートル90、98キロの大男の後姿は小さく見えた。

 1年足らずの助っ人だったが、ささやかな送別会が行われたのは試合終了後。ロッカールームに運び込まれた缶ビールが平田勝男選手会長の音頭で開けられた。偉大なメジャーリーガーに亀山努、金子誠一両外野手らはバットにサインをもらった。サインとともに記したのは「ガンバッテ!」。川崎にも贈ったあの言葉だった。

 餞別を渡したのは、川藤幸三打撃コーチ。「来年からはこれを使えや」。川藤愛用のノックバットが手渡されると、2人固い握手を交わした。

 阪神はランディ・バース、セシル・フィルダー、そしてパリッシュと3年連続でシーズン途中で外国人が退団。パリッシュがいなくなった後、本塁打王は落合が34本で獲得した。

 メジャー256本塁打のスラッガーは帰国後、マイナーの監督を歴任。実績を積み重ね、98年途中から99年までデトロイト・タイガースを指揮。現在もタイガース傘下の3Aトレドで監督を務め、優勝させるなど若手育成に励んでいる。

 ヤクルト時代の佐藤孝夫打撃コーチから学んだ「トクダ(特打)」でチームのバッティングのレベルを上げ、川藤からもらったノックバットでメジャーの卵たちを育てた。来日時、ワニの肉を食べることで「ワニ男」と呼ばれた男も母国では、日本で好物になった寿司ばかりを食べる「スシ男」と呼ばれているという。


【2008/8/27 スポニチ】

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