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【2月29日】2000年(平12)

 あきらめたはずの野球がまたできる。4年に1度しかない2月29日。4年に1回しかこない記念日だからこそ、楽天・山村宏樹投手にとっては忘れることはない日になった。 この日、元阪神の山村はテスト生として参加していた近鉄の日向キャンプで、梨田昌孝監督から正式にテスト合格、近鉄の現役投手としての入団を正式に言い渡された。

 「もう一度野球ができるんですね。終わったはずだったのに…。嬉しいです。もうそれだです」。久しぶりにみせる満面の笑みだった。

 タイガースを退団した山村に真っ先に声をかけたのは、梨田監督だった。梨田は2軍監督時代、ウエスタン・リーグで投げる山村をいつも注目していた。「あのスライダー、いいよね。高い能力を持っていると思う。磨いてみたい素材。いいものをたくさん持っている」と評価。テストは普通選手が頼み込んで受けるものだが、新任の梨田監督たっての願いで山村に受験を要請、その期待に応えての入団となった。

 94年、ダイエーにドラフト1位で指名された大分・別府大付高の城島健司捕手と同級生、山梨・甲府工高のエースは高校球界屈指のスリークォーター右腕との評価で阪神が1位指名した。MAX145キロの直球に、切れ味鋭いスライダーに球団首脳も「オールスター明けには1軍」と大きな期待を寄せた。

 しかし、右ひじを痛め、十分な投球ができなかったこともあって初めて1軍に上がったのは入団3年目の97年。初勝利を挙げたのは、既に阪神の最下位が決定的となった98年9月17日の広島25回戦(甲子園)。7回を江藤智三塁手の本塁打1本による1失点に抑えての1勝だった。「めちゃくちゃうれしいというのはない。勝ったという実感はある」。初白星にしてはあまりにも素っ気ないコメントだったが、背景には阪神から既に心が離れていたという事情があったと思われる。

 初勝利を挙げた翌99年、山村は開幕前から突然めまいや吐き気に悩まされ始めた。精密検査を受けた結果、診断は自律神経失調症。6月には野球ができる精神状態ではなく、ついに7月になって実家がある山梨に帰省。そのまま10月に戦力外通告された。

 山村は「自律神経失調症になったのには理由がある」とし、チーム内で後頭部を踏まれるなどの嫌がらせを受けていた事実を告白した。阪神側が関係者に事情聴取すると、3月にある選手が“ふざけて”山村の首を踏んだことが判明した。ただ、球団はそれと自律神経失調症との因果関係については認めなかった。

 当初、訴訟沙汰になる可能性もあったが、山村は「事実と認めてくれたので納得した」とこれ以上追及しないとした。

 00年4月9日、大阪ドームでのロッテ3回戦。3安打、114球のプロ初完封勝利を収めた山村は第2のプロ野球人生を華々しくスタートした。「最後まで投げきれたことが何より嬉しい。僕を獲ってくれた監督さんに感謝したい。恩返しができました」。初勝利のときよりこのプロ2勝目の方が素直に喜べた。

 再スタートを切って今年で9年目。楽天ではベテランの域に入る。07年は自己最多の34試合に登板した。先発に中継ぎに奮投した背番号16の右腕は楽天初のクライマックスシリーズ進出に欠かせない存在だ。


【2008/2/29 スポニチ】
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